保守の視点

「保守の視点」から政治・歴史を語る

「戦後レジーム」からの「脱却」or「延長」か~安倍政権評~

 安倍首相は第一次政権の時に「戦後レジームからの脱却」を提唱した。「戦後レジーム」が具体的にどのようなものかは説明されていないが日本国憲法がその中核に含まれているのは間違いなく、「脱却」には当然、日本国憲法の改正が含まれている。

 また「戦後」という表現がある限り、日米同盟も含まれているだろう。「戦後レジーム」を論ずるにあたっては日本国憲法と日米同盟を除外する論者はいないはずである。

 第一次安倍政権では教育基本法改正や防衛庁の「省」への格上げが行われ、これは日本型リベラルの反発を買った。

 しかし、周知のとおり2007年の参議院選挙で自民党が大敗したことにより、第一次安倍政権は瓦解した。

 2012年に復活してからの安倍政権では「戦後レジームからの脱却」という言葉は使用されていない。恐らくこの言葉を使用すること自体、日本型リベラルを興奮させ無用な摩擦を生むという判断からだと思われる。

 しかし筆者は安倍政権を評価するにあたってこの「戦後レジーム」という言葉は注目に値するものだと考えている。

 実際、安倍政権下で制定された法律、代表的なものを挙げれば特定秘密保護法、安保法制、共謀罪などは昭和の時代ならばとても成立しなかったものである。日本型リベラルも同じ感想だろう。だからこそ彼(女)ら安倍政権を過剰なまでに攻撃するし、もっと言えば彼(女)らの感覚では「戦後レジーム」も完全ではないこそかなりの程度「脱却」されているはずである。

 では実際のところ「戦後レジーム」からの脱却を進んだろうか。前記したように「戦後レジーム」の中核は日本国憲法であるが、憲法改正にはいたっていない。

 日本国憲法は中核であるが、それだけで戦後レジームが成立しているわけではない。法次元で言えば憲法の理念を反映させた関係法もまた重要であり、特定秘密保護法、安保法制などはそれを改めるものであった。日本型リベラルの理解では憲法9条という「本丸」の改正に向けて「外堀」が着実に埋められているといったところだろうか。

 戦後日本において憲法の関心はやはり憲法9条であり、これが淵源となり自衛隊の実力・行動には制約がかけられた。一方でこの制約によるマイナスは日米同盟が補完していた。

 「専守防衛」「GDP比1%の防衛予算」は日米同盟があったからこそ成立したものであり、日本自ら積極的に「対米依存」を選択したと言える。

 このことから「9条の不利益」を「日米同盟の利益」が補完していたのが「戦後レジーム」とも言える。

 そして「中国台頭」に伴う国際情勢の著しい変化によりアメリカの軍事面における圧倒的優位は保障できなくなってきた。地政学的に見れば中国の台頭に最も影響を受けるのが日本である。だからアメリカが「中国台頭」を受けて防衛面で対日負担の増大を要求するのは筋が通っている。

 またその対日負担要求も秘密情報の保護や集団的自衛権の解除と言った防衛予算の増大を伴わないものである。この次元の対日要求は日本の安全保障政策の「国際標準」化もっと言えば「普通の国」化である。「普通の国」では9条など平和の阻害要因以外の何物でもない。

 安倍政権下による特定秘密保護法の制定、集団的自衛権の限定容認といった安全保障政策の転換により日本はより「普通の国」に近づいてきた。

 そういう意味では戦後レジームから部分的には「脱却」したといえる。一方でこれら安全保障政策の転換はアメリカの要求に沿うもの、つまり日米同盟の強化、発展策の一環として行われた。

 この限りでは「戦後レジーム」からの「脱却」というよりも国政情勢に応じた「調整」に過ぎず、要は日米同盟による「9条の不利益」の補完範囲を広げた、「戦後レジーム」の「延長」という評価もできるだろう。言葉遊びかもしれないが「戦後レジーム」に関しては、基本進行は「脱却」であるが、角度を変えてみれば「延長」といったところだろうか。

 確実に言えるのは、安倍首相はかなりの「現実志向」の政治家、つまり冒険や博打を回避しつつ一歩一歩前に進むタイプの政治家である。これには相当な忍耐力が求められ、これは第一次政権の瓦解から学んだものと思われる。より正確に言えば自らに相対する「敵」の性格を文字通り、苦痛を伴う形で理解したのである。

 言うまでもなく「戦後レジーム」からの完全な意味での「脱却」とは憲法9条改正を代表とする日本国憲法の全面改正であり、それは相当な政治的エネルギーが求められる。9条2項が削除すれば日本型リベラルは瓦解するだろうが、それは極めてハードルの高い作業である。 

 だからまずもって9条加憲案を実現し憲法聖典視する風潮を改めて段階的に「完全脱却」を目指すことが現実的かもしれない。

 しかし一方で筆者はあくまで「思考実験」として「改憲不要の戦後レジームからの脱却」も研究すべきだと考える。繰り返しになるが9条2項の削除は政治的に極めて難しい。だからそれを前提にした対応も研究されるべきだろう。

 今、思いつく範囲内でも、それは解釈改憲の徹底であり、日本型リベラルの感覚では完全な意味での「日本国憲法の死文化」である。

 また日本型リベラルの国会進出を阻止するための法律の研究、例えば「政党の定義」を明確化にした立法の制定である。「自衛隊の存在を否定する」とか「在日外国人に地方選挙権を付与する」といった主張する政党には比例議席を配分しないといったものが考えられる。これが実現すれば現在の野党、特に日本共産党議席は大幅に減少するはずである。

 この「改憲不要の戦後レジームからの脱却」についてはいずれ発表したい。