保守の視点

「保守の視点」から政治・歴史を語る

同盟国を欺くことが「賢い」?

 集団的自衛権の限定行使を認めた、いわゆる「安保法制」が国会で可決されて3年、施行されて2年半あまりが経過した。

 反対派が主張したように安保法制可決後、これが起因となり日本が「戦争に巻き込まれた」という事案は発生していない。 

 むしろ北朝鮮情勢を巡り、同法に基づき自衛隊がいわゆる「米艦防護」を実施し抑止力を高めたほどであり、やはり集団的自衛権は日本の安全保障の向上に役立っている。

 集団的自衛権の限定解禁は日米同盟強化策の一環であることは明白であり、解禁に向けて米国側から働きかけがあったのは間違いなく、それも特段、隠されていない。

 集団的自衛権の限定解禁が行われるまで日米同盟は「片務的同盟」と表現された。もちろん現在でも日本有事を除けば自衛隊の対米支援は基本的に「後方支援」に限定されており、最前線で戦うことは予定していない。

 日米の戦力差は比較にならず「日本はアメリカに守られている」という構図であるから「片務的同盟」という性質は基本的には変わらない。しかしこれは装備や防衛予算の次元の話である。

 集団的自衛権が限定解禁されるまでは海上自衛隊護衛艦は近隣に展開する米海軍艦艇が攻撃された場合、「日本有事」を除きこれを支援することができなかった。米海軍は全世界に展開しており、その最中にいちいち「日本有事」という区分はしていないし、そういう区分自体、米海軍の機動力に制約をかけるものである。これは海軍の特性を考えれば容易に想像できるのではないか。

 しかし集団的自衛権の限定解禁により「日本有事」以外、前記したように地理的制約なしに日米は共同行動が出来るようになった。

 装備や防衛予算次元の「片務的同盟」はNATO・米韓同盟でも確認できるが法的次元のものは日本だけである。「同盟軍を守る」という本来ならば自明過ぎて問題にならないものまでが日米同盟では問題になっていた。そういう意味では集団的自衛権の限定解禁は日米同盟の「国際標準」化の一歩であるし、日本の「普通の国」化とも言える。今後、政治情勢を注視しながら全面解禁に向けての準備を進めるべきであろう。そしてそのために保守派は結集、理論武装を進めて行く必要がある。

 米国からの要請を受けての限定解禁だったことから「対米従属である」といった類の非難があった。しかし率直に言って米国の要請は常識的なものである。

 自国の憲法を根拠に反対しても米国の幻滅を招き、日米同盟の亀裂、最悪、解消になるだけである。もちろん「日米同盟無き安全保障」も考えられるが結局、それは自主防衛以外にあり得ない。

 限定解禁を巡り日米間で具体的にどのような交渉があったのかはもちろん知らないが

日本では同盟国たるアメリカの要請を上手く拒否する、もっと言えば欺くことが賢明であるかのような論調が目立つ。「憲法9条があるからアメリカの軍事協力を拒否できた」と言った類の言説もこの一部である。

 例えばアメリカが唐突に日本の防衛費を3倍にするよう要求してきたらそれは横暴だが同盟とは基本的に相互支援であり、その基礎は両国の「信頼」である。だから同盟国を欺くことが賢明といった論調はあり得ないものである。

 戦前の日英同盟もそうだったが日本ではどうも外国との同盟関係を「損得」の次元で論ずる風潮が強い。同盟国から可能な限り「得」を引き出すことこそが同盟関係だと言った具合である。

 確かに過去の日英同盟、現在の日米同盟ともに文化、人種が日本と大きく異なっており、要するに共通点より相違点を感じる国民が多い。だから「損得」の感情が優先するのはある程度はやむを得ない。しかし、やはり限度というものがある。幸い過去の日英同盟よりも現在の日米同盟は地理的にも国力的にも利害を共有しやすい。

 ソ連崩壊後、左翼はリベラルに衣替えしかつての自らが展開した日米同盟否定論を忘れ「ソ連が崩壊したから日米同盟は不要だ」と主張し、そこから派生し「日米同盟の維持のために北朝鮮・中国脅威論を煽っている」などと言う。

 確かに日米同盟はソ連を対象として締結し、そしてソ連崩壊後、もちろん非公然だが北朝鮮・中国を対象としている。もちろんソ連から北朝鮮・中国への対象の変遷は日米同盟の維持のためではない。もう少し巨視的にとらえたい。

 歴史的に見ても日本の安全を脅かしてきたのはユーラシア大陸の勢力であり、ユーラシア内部の大国間の競争がなくなり、その「力」が海洋に進出したときに日本と衝突する。唐帝国元帝国、ロシア帝国ソ連といった国々はいずれもユーラシア大陸の盟主的存在である。だから中国が台頭しロシアを圧倒しユーラシア大陸の盟主になろうとするならばそれに備えるのは当然である。中国に迎合し日米同盟を解消すれば中国が海軍力の増強を止めるとでも言うのだろうか。ますます増長するだけだろう。

 ユーラシア大陸の盟主が日本を軍事的影響下に置けばあとグアム、ハワイまで一瀉千里である。だから中国台頭を念頭に置いた日米同盟の強化は日本はもちろん、アメリカにとっても有益である。また日米同盟を考える際に「利害」に限らず日米両国ともに民主主義国家である点も重要である。

 日米同盟は単なる国家の領域を防衛するために限らず「民主主義」という価値観を守るという意味を持つ。アメリカが「民主主義」の価値観を極めて重視していることはよく知られる。ネオコンのように軍事力の行使を通じて「世界の民主化」を図ろうとした勢力もいるぐらいである。

 今のアメリカのそこまでの力はないが「民主主義圏を守る」程度のことは間違いなくするはずである。その場合、日本は独裁国家たる中国の最前線に位置するわけだが、これは冷戦の再現に過ぎない。実際のところ中国の台頭とは要するに独裁国家の台頭であり第二次世界大戦後の国際秩序をハード面(軍事力)のみならずソフト面(国際法)でも大きく変える可能性がある。独裁主義を肯定する思想はもはや存在せず中国共産党にとって最大の脅威は自由・平等・民主主義思想に他ならない。

 中長期的に見れば国際社会はアメリカを盟主とする「民主主義陣営」と中国を盟主とする「独裁国家陣営」に収斂されるだろう。当然、日本は前者に属すべきだしそのためにも日米同盟の強化、少なくとも「国際標準」化、「普通の国」化は推進しなくてはならない。

 今後、日本の「立ち位置」を問われる場面が多くなるだろう。「日本は米国と中国の架け橋になるべきだ」とか「日本の領土に外国の軍隊が駐留しているのはおかしい」いった優等生的言説は米中両国の不信を買うだけである。ところがこの種の優等生的言説は案外、世論の支持を受けるのである。もちろん日本型リベラルはそれを最大限利用するだろう。

 だからこれからの政治家は外交・安全保障政策への見識、説明能力が格段と問われる。「外交と安保は票にならない」では済まされない。外交・安全保障政策に見識のある政治家を選出するためにも例えば参議院議員の定数増員も積極的に検討されよう。参議院議員は唐突な選挙に振り回されることなく政策に集中できる存在である。

 安全保障は実験や冒険、博打の類は絶対にできない分野である。望ましいのは日本が自主防衛を確立してアジア・太平洋地域における米中間のキャスティングボードを握る存在になることであり、そのためにも防衛論議の活発化が望まれる。そしてそれを妨害しているのが日本国憲法聖典化している日本型リベラルに他ならない。