保守の視点

「保守の視点」から政治・歴史を語る

安田純平は「法の保護」から外す必要がある? 

 シリアで3年間に渡って人質になっていた安田純平氏が解放された。そしてこの安田氏を巡り議論を白熱している。大手マスコミの論調を雑駁に論ずれば安田氏に対し「自己責任」と批判する言説を批判する意見が主流である。いわゆる「自己責任批判」であり、2004年のイラク人質事件を引き合いに出して論じられることが多い。

 この「自己責任批判」の文脈から例えばテレビ朝日解説委員玉川徹氏は安田氏を「英雄」とすら評する。しかしどうだろうか。「自己責任」に基づく批判はそんなに強いのだろうか。イラク人質事件と対比されると言ってもこの事件では当時、福田康夫官房長官が記者会見で「自己責任」と発言したことも影響しているので今回の事件と比較するのは不適当である。

 また、安田当人もSNS上で戦場に行くことを「自己責任」を論じており「言行不一致」という点では氏に対して「自己責任批判」は成立する。

 率直に言って今回の事件で最も論じられているのは「自己責任」ではなく安田氏のジャーナリストの資質ではないか。氏を擁護する意見では「ジャーナリストが戦場に行くことで真実がわかる」と言った具合だが、では安田氏は戦場に行ってどんな真実を日本に報道してきたのだろうか。

 当然、ジャーナリストは戦場に行くことが目的ではなく戦場の情報を外国(日本)に伝えることを目的としているはずである。戦場に行くたびに拘束されている人間(今回で5回目)がどんな情報、どんな実績を上げてきたのだろうか。安田氏を擁護する者はこれを具体的に示す必要がある。拘束されている期間、取材できなかった、要するにジャーナリストの役目を果たせなかったわけだから氏のジャーナリストとして資質を疑うのは当然と言えよう。

 安田氏を擁護する論調で更に不可解なことは「国家の国民保護義務」についてである。「国家は国民を守る義務がある」という意見であり、筆者はこれには諸手を上げて賛成である。

 しかし一方で「国家の国民保護義務」を履行させるためには国家に然るべき権限と能力を付与する必要がある。国家に然るべき権限と能力がなければ国民を保護したくてもできない。

 外国の地で日本人が武装勢力に拘束された場合、その救出手段として自衛隊による武力奪還という選択肢もある。国際法上は相手国の同意があれば、その国に軍隊を派遣することできる。2015年の安保法制でもここまでの事態は想定していなかった。だから安田擁護派が主張する「国家の国民保護義務」を履行するためには憲法9条の解釈変更もしくは改正が必要となる。

 しかし管見の限り、安田擁護派のほとんど全部が護憲派である。国家の国民保護能力を制約しておきながらその必要性を殊更、強調するとはどういうことなのか。

 そして今回の安田氏の解放を巡ってカタール政府が武装勢力に身代金を払ったとされる。常識的に考えればこれは日本政府が出資したものだろうし、武装勢力に資金が提供されたことにより現地の人々、在外邦人の平和が害されたことになる。在外邦人は本国・日本に家族がいるかもしれないし、よりシンプルに言えば「日本人」という記号が武装勢力の恰好の標的となったのだから我々、日本人全体の平和が害されたと言っても過言ではない。

 安田氏を「ジャーナリスト」と評価するならばジャーナリストが他人の生命の安全を害したことになる。

 安田擁護論で筆者が最も不満なのは安田氏の能力等について批判が出たときに擁護派は殊更、ジャーナリストの必要性を強調するところである。

 「ジャーナリストは民主主義を守っている」という類の言説で、これは言外に「だから安田は悪くない、正しい」と言っているのと同じである。「ジャーナリスト」の肩書を殊更、強調してそれがいなければ民主主義がおかしくなるといった言説は相手の足元を見た極めて不誠実ものである。

 そしてこの種の言説が出るということは、実のところ安田氏はジャーナリストとして誇るべき成果が何もないということの証左でもある。

 さて、今後の展開だが安田氏のことだから再度、中東の戦場に行く可能性がある。

 そして再度、拘束され、その解放のために関係機関は膨大な労力を費やすだろうし、武装勢力に、また資金が提供されるかもしれない。

 そして我々、日本人の平和が害される。安田氏によって我々、日本人の平和が今以上に害されるのだ。

 国家(日本政府)は国民からパスポートを没収することはできるが、これは憲法上の疑義が残る。正直、法理論上、この措置を継続していくことは無理だろう。

 また国家(日本政府)がパスポートを没収したとしても便宜的に外国の国籍を取得する、つまり「二重国籍」を選択すれば日本以外の国でパスポートを発行して出国することもできる。そして今回の事件の例で言えば安田氏は韓国籍を取得しており、どうもそれを悪用して出国したようである。

 またパスポートの精度が悪い国、あるいは紛争国のように適正なチェックができない国は「偽造」も通用するだろう。要するに安田氏の再出国を防ぐ手段は現在の国家(日本政府)では限界がある。それは言い換えれば「国家の国民保護義務」が完遂できないということになる。

 近代国家は国民の自立救済を禁止しその代わりとして存在している組織である。その国家が国民を救済できないならば国民の自立救済、つまり日本人自らによって安田氏の再出国を防止する措置も肯定される。

 それは要するに再出国に関することに限り安田純平を「法の保護」の外に置くことになるわけだがどうだろうか。

 もとより筆者は違法行為には強く反対するものである。しかし安田氏の再出国防止に関しては「違法だが正当である」程度の理屈が成立してしまう。それは結局、「第二の赤報隊」になる。安田擁護派が本来やるべきことはジャーナリストを辞めるよう安田氏を説得することである。

 誤解のないよう繰り返すが筆者は違法行為に強く反対しその推奨を意図するつもりもない。ただ一つの考えを提示したに過ぎない。「思考実験」の類である。

 最後に安田氏を「英雄」と扱う日本の大手マスコミに対して問いたい。繰り返し拘束され、武装勢力への資金提供を許し、その結果、他人の平和を害する人間を本当に「ジャーナリスト」と評して良いのか。そうだとするならば筆者は日本にジャーナリストはいらないと断言する。

 今回の騒動により大手マスコミへの反発・嫌悪は無党派層にも拡大したと思われる。この騒動を機にマスコミに対する各種優遇措置を全廃すべきだろう。