保守の視点

「保守の視点」から政治・歴史を語る

自民党改憲草案は全体主義?~「進歩」が独裁を生む~

 人類史上、最も人権を蹂躙した体制は全体主義(=ファシズム)体制である。戦後日本でも大日本帝国全体主義に関心が持たれ研究が進められた。

 全体主義は「右翼全体主義ファシズム」「左翼全体主義コミュニズム」に分けられ、日本では「右翼全体主義ファシズム」が圧倒的に知られている。

 戦後日本の歴史学界では「ドイツ・ファシズム」「イタリア・ファシズム」「日本(=天皇制)ファシズム」の共通性が論じられ。とりわけ日本では左翼からは「ファシズムの淵源」と認識された天皇が戦後も存続していたからファシズム研究は政治的要素もあった。「天皇制は論理必然的にファシズムを招来する」ことを証明できれば、それは最高の天皇批判になる。

 しかし「日本(=天皇制)ファシズム論」は1976年に当時、東京大学教授(新しい歴史教科書をつくる会元理事)の伊藤隆氏が「ファシズム」の無内容性を指摘して以降、歴史学界は百家争鳴状態になり、最終的には伊藤氏の指摘が認められ(有効な反論がなかった)沈静化した。 

 伊藤氏の理解で言えば大日本帝国下で個人を抑圧した体制は「ファシズム」ではなく「戦時体制」である。そう言う意味では大日本帝国は「ファシズム」体制ではなかったし、また「戦時体制」は連合国も採用されていた体制であるから特段、異常ではない。

 更に言えば現在の日本国憲法体制下でも対外戦争の可能性は否定できず「戦時体制」が復活することもあり得るのだから「大日本帝国ファシズムだった」といった言説は日本の防衛論議に混乱を招き有害とも言える。

 一次史料の発掘も進み「全体主義」「ファシズム」といった「大理論」を当て込む研究手法が忌避され、日本史の学術書から「全体主義」「ファシズム」の用語は事実上、消滅した。一次史料が歴史研究の基礎なのだから「大理論」はもう研究の主流にならないだろう。

 しかし「全体主義」「ファシズム」は政治の世界では案外、「市民権」を得ている。  

 それは真摯な批判というよりも政敵への「レッテル貼り」「罵倒語」としてである。

 こうした現実がある以上、筆者は「全体主義」について整理する必要があると考える。

 最も著名な「全体主義」はナチス・ドイツであり、ナチスユダヤ人を始めとした特定民族の抹殺を推進したことが知られている。ユダヤ人を「劣等人種」と認定し収容所に入れた。そしてナチスユダヤ人を「劣等人種」と判断した根拠は「優生学」という学問だった。ここで重要なのは「優生学」は当時最先端の学問と認識されていたことである。つまり「人種隔離・抹殺」政策は科学的・医学的根拠がある合理的なものと理解されていたのである。そしてこの優生学は当時は明らかに進歩的思想の扱いだった。

 またナチス社会主義政策を採用したことも知られている。ナチスの正式名称は「国家社会主義ドイツ労働者党」であり、ナチス当人達が「社会主義」を真剣に考えていたとは思われないが、間違いなく社会主義政党である。

 ナチス政権の「成功」と評価される(最近では否定的評価も増えている)経済政策もナチスは党外の人材(ヒャルマル・シャハト)を登用し社会主義政策を実施したものである。

 そして言うまでもなく社会主義も1930年代はもちろん1960年代までは進歩的思想だったのである。論者によってはソ連崩壊まで社会主義は進歩的思想だったかもしれない。

 全体主義を論ずるにあたって重要なのはこの「進歩」である。優生学社会主義も「進歩」であった。進歩は「正義」に置き換えられやすい。ただし「進歩=正義」ではない。「正義」は「保守」や「復古」でも成立する。

 全体主義国家では独裁も正当化された。共産党の「前衛主義」はよく知られているし、ナチスも「指導者原理」を導入し独裁を肯定した。

 進歩的思想は文字通り「進んだ思想」であり、それ以外は「遅れ」とか「歪み」とみなし否定する。だから進歩主義者が自分を一段高見において社会を改革しようとするのはある意味当然である。またこのことから「進歩」は排他性を含んでいると言える。

 問題は進歩主義者は「他人を説得する」という手続きを疎かにしがちであり、むしろ彼(女)らは自分達の「進んだ思想」を実現するために強硬措置すら肯定する。

 進歩主義者からすれば「遅れ」「歪み」を持つものは対等な存在ではない。現在でも「保護」の名目で他人の権利行使を制限すること、例えば「バターナリズム」の思想はよく知られている。「バターなリズム」ももちろん「進歩」に基づくものである。

 だから進歩主義者は意識面では社会を超越している。超越しているからこそ他者攻撃・支配、最悪、存在否定すらも正当化するのである。見方によっては他者攻撃したいだけの人間が「進歩的思想」を支持しているようにも見える。

 冷戦が終結したからと「進歩」は消滅しない。そもそも社会の活力は「進歩」があってこそである。進歩的思想は否定すべきではない、ただし「進歩的態度」は不要である。

「自分の考えは進んでいて正しい」という態度は「対話」を成立させない。また社会改革を望むなら「責任ある立場」を目指すべきである。「責任ある立場」とは与党であり野党ではない。「確かな野党」など単なる議事妨害の存在に過ぎない。

 今の日本で「進歩」にあたるものは「立憲主義」である。日本型リベラルは「立憲主義を取り戻す」とか「立憲主義を守る」をスローガンに「国家を超越した権力」を握ろうとしている。

 立憲民主党所属衆議院議員の山尾しおり氏は「立憲的改憲」に基づき「憲法裁判所の設置」を主張している。彼女は安倍政権下で内閣法制局長官の人事が官邸主導で行われたことを「不文律を侵した」といって強く非難している。

 山尾氏の意識は「政治家」ではなく「法律家」であり、仮に彼女の主張に基づき憲法裁判所が設置された場合、外部から同裁判所を統制することは全くできないだろう。

 何も「立憲的改憲」といった大胆な制度改正をしなくても「多数派の中枢を攻撃する」ことを通じて日本の進歩主義者(=日本型リベラル)は完全ではなにしろ「国家を超越した権力」を握ることも可能である。例えば国会前デモ、政党本部前デモ、メディアスクラムなどといった手法で政治家個人を威圧し屈服させることも可能である。

 要するに進歩的思想の排他性が露出したものが「全体主義」である。

 今後、日本で全体主義体制が採用されるとしたら「人権擁護」が主たる理論となっているだろう。最近では韓国の徴用工(実際は募集労働者)判決を巡って「日韓基本条約軍事独裁政権下で締結されたものだから無効だ」という意見も出てきた。もはや人権は国際法を超越しつつある。

 未来の全体主義社会とは「人権擁護」を目的とした民主的統制が及ばない機関が君臨する社会である。個人の権利の行使もその機関に忖度しなければならない社会であり、もちろんそこに「自由」はない。

 思えば共産主義も「平等社会」を実現するための思想だった。しかし、実際は「共産党幹部」という「富の分配者」が君臨する超格差社会を誕生させただけだった。

 「進歩」は「自由」を支配する危険性を秘めている。

 さて、最後に全体主義を論ずるにあたって触れておきたいのが2012年に自民党が示した改憲草案についてである。日本型リベラル界隈ではこの改憲草案をもって「自民党ファシズム政党だ」とか「日本が全体主義国家になる」と批判している。

 確かに2012年の自民改憲草案は復古的表現も多く、どこまで本気で考えて作成したのかわからない。野党時代の案だから常識的に考えれば支持者向けだろう。

 ただ同改憲草案で示した「国防軍の設置」「緊急事態条項の導入」も国家の存在意義(レゾンデートル)たる国民保護機能を満たすものであるし前文で歴史・伝統に触れることも「立憲主義に反しない」範囲なら問題はない。外国の憲法自民党改憲草案よりもはるかに歴史・伝統について記載している。

 自民党改憲草案は「復古」的であるとは批判できるかもしれないが「全体主義」とは批判できない。

 ここまで読んだ方なら理解できるだろうが全体主義はあくまで「進歩」の奇形的発展の結果である。「復古」によって誕生するわけではない。全体主義は進歩の先にあるが復古の後にはない

 そしていま、日本で「全体主義」に最も近い勢力は「国防軍の設置」を目指す自民党ではなく「立憲主義を取り戻す」をスローガンにする立憲民主党である。

 「自由」を守りたいものは立憲民主党を批判すべきである。

立憲主義とファシズム

 臨時国会が始まり、改憲論議が活発になることは確実視されている。そして立憲民主党を始めとした野党各党が改憲論に反対するため「立憲主義」が殊更、強調されることは間違いない。「権力を縛るのが憲法である」というやつである。
 立憲民主党支持者が書いた下記の漫画では権力者の例示として「欧州型君主」が示されているが、ここがポイントである。「欧州型君主」とは要は「封建君主」である。   

 ヨーロッパの君主国はイギリスが有名であるが。第一次世界大戦まで「帝国」が複数存在し君主は結構な権力は握っていた。「立憲主義」が想定する縛るべき権力とは「封建的権力」である。

 

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 では日本の「封建君主」とはなんだろうか。天皇は「封建君主」に該当するのだろうか。もちろん否である。日本の歴史で「封建君主」とは「武士」であり、それは「徳川幕府」もって終了した。天皇は「封建時代に存在した」とは言えるが「封建君主」とは言えない。
 明治維新により「徳川幕府」は名実とともに終焉し、各大名は「華族」に転身したが政治的実権は完全に失った。日本は「憲法で縛るべき権力者」は明治維新で消滅した。
 また天皇の本質は「君主」というよりも「神官」でありローマ法王的存在である。
 確かに「王政復古の大号令」が発されたのは史実がある。しかし「維新の功労者」が「天皇親政」を目指したこともなく大日本帝国憲法により天皇は主権者とされたが、その大権の行使は憲法の条規によるものとされた。
 封建君主を想定して発展した「立憲主義」をそのまま日本史に当てはめることはあり得ない話である。

 そもそも今の権力とは国民の選挙に基づいて確立するものであり、その本質は「国民の代表者」である。民主主義の基本ともいえる「治者と被治者の同一性」は担保されている。日本国憲法前文も「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものてあつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。」
と明記されている。

 重要なのは言うまでもなく「国民の代表者」の部分である。安倍晋三枝野幸男志位和夫も皆「国民の代表者」である。「国民の代表者」を立憲主義の名目で「縛る」とはどういうことか。それは民意を縛ることであり国民主権の侵害である。

 そもそも「縛る」とはどういう意味か。

 

 ネットで検索してみると「縛る」とは

1.縄やひもなどを巻きつけ、一つにまとめて結ぶ。また、動きが取れないようにひもや縄などで巻きつける。結わえる。くくる。
2.自由にできないように制限する。束縛する。

 出典 小学館 デジタル大辞泉


 これを素直に読めば「縛る」とは相手の存在を認めたうえでの表現である。当たり前だが存在しない対象は「縛る」ことができない。
 立憲主義が著しく強調されたのは2014年の集団的自衛権を限定解禁する憲法解釈の変更の時からである。集団的自衛権が限定解禁された理由は国際情勢の悪化、純然たる安全保障上の要因からであり憲法9条は認める「自衛のための必要最小限度の実力」に反しない範囲内での解禁とされた。

 野党はこれを「必要最小限度の実力」=「個別的自衛権」と読み替えて違憲とし、安保法制に反対した。
 憲法解釈変更まで集団的自衛権は「保有するが行使できない」と解釈されていた。安保法制反対派は憲法集団的自衛権の行使を「縛る」ということなのだろうが、権利は行使することを前提にしているのだから「保有するが行使できない」は「縛る」のではなく「否定する」のと同じであり、その強度は「縛る」を超えている。
 「縛る」とは存在するものを「統制」することを目的に行われる動作であり、集団的自衛権の行使は「統制」できていれば問題なく、立憲主義に反しない。
 例えば集団的自衛権の行使に関して国会が全く関与できない場合は立憲主義に反しているが、安保法制では国会の事前・事後の関与は認めている。だから十分に権力を縛っており、立憲主義を満たしている。
 立憲主義論がここまで更盛した背景は戦後の左翼勢力の異常なまでの反国家主義
運動が原因である。戦後日本は日本国憲法下に移行したが統治機構大日本帝国指導層・関係者が多数「横滑り」した。

 戦争体験者が社会の主流占める中、左翼は保守政権を「大日本帝国の残滓」と見なした。戦争体験者にとって例えば「元海軍将校」の肩書を持つ国会議員は「戦争責任者」と映ったに違いない。

 そういう意味では戦後の「反国家主義」は単純な話ではないが現在の日本型リベラルには戦争体験者が少数で運動の中枢にもいない。だから彼(女)らが唱える反国家主義も驚くほど低次元である。
 筆者が繰り返し主張しているように昨今の「権力を縛る」の名目で流行している「立憲主義」回復運動の帰結は「国家を超えた権力」を生み出す危険性がある。
 旧SEALDsは内閣・国会から独立した機関による「法案の合憲性の事前審査」を提唱したし「立憲的改憲」を主張する立憲民主党所属山尾しおり氏は憲法裁判所の設置を提唱している。これらは「国家を超えた権力」の法制化に他ならない。

 この「国家を超えた権力」は民主的基盤はもちろんなく文字通り国民が統制不可能な権力である。日本は戦時体制下ですら単一の権力が誕生しなかったことを考えれば「立憲主義」回復運動は日本史上、最高の権力を誕生させるだろう。
 既視感がないだろうか。「国家を超えた権力」とは共産圏で存在した「前衛」権力(=共産党)と同じである。

 要するに立憲主義」回復運動の帰結は日本のファシズム化なのである。
 多くの人は立憲主義共産主義は全く別のもの考えるかもしれない。しかしそれは違う。この両者に共通するもの、根底するものがある。それは「進歩」である。
 この「進歩」こそが、我々「保守」が相対すべきものである。これについては別途、詳細に論じたい。

安田純平は「法の保護」から外す必要がある? 

 シリアで3年間に渡って人質になっていた安田純平氏が解放された。そしてこの安田氏を巡り議論を白熱している。大手マスコミの論調を雑駁に論ずれば安田氏に対し「自己責任」と批判する言説を批判する意見が主流である。いわゆる「自己責任批判」であり、2004年のイラク人質事件を引き合いに出して論じられることが多い。

 この「自己責任批判」の文脈から例えばテレビ朝日解説委員玉川徹氏は安田氏を「英雄」とすら評する。しかしどうだろうか。「自己責任」に基づく批判はそんなに強いのだろうか。イラク人質事件と対比されると言ってもこの事件では当時、福田康夫官房長官が記者会見で「自己責任」と発言したことも影響しているので今回の事件と比較するのは不適当である。

 また、安田当人もSNS上で戦場に行くことを「自己責任」を論じており「言行不一致」という点では氏に対して「自己責任批判」は成立する。

 率直に言って今回の事件で最も論じられているのは「自己責任」ではなく安田氏のジャーナリストの資質ではないか。氏を擁護する意見では「ジャーナリストが戦場に行くことで真実がわかる」と言った具合だが、では安田氏は戦場に行ってどんな真実を日本に報道してきたのだろうか。

 当然、ジャーナリストは戦場に行くことが目的ではなく戦場の情報を外国(日本)に伝えることを目的としているはずである。戦場に行くたびに拘束されている人間(今回で5回目)がどんな情報、どんな実績を上げてきたのだろうか。安田氏を擁護する者はこれを具体的に示す必要がある。拘束されている期間、取材できなかった、要するにジャーナリストの役目を果たせなかったわけだから氏のジャーナリストとして資質を疑うのは当然と言えよう。

 安田氏を擁護する論調で更に不可解なことは「国家の国民保護義務」についてである。「国家は国民を守る義務がある」という意見であり、筆者はこれには諸手を上げて賛成である。

 しかし一方で「国家の国民保護義務」を履行させるためには国家に然るべき権限と能力を付与する必要がある。国家に然るべき権限と能力がなければ国民を保護したくてもできない。

 外国の地で日本人が武装勢力に拘束された場合、その救出手段として自衛隊による武力奪還という選択肢もある。国際法上は相手国の同意があれば、その国に軍隊を派遣することできる。2015年の安保法制でもここまでの事態は想定していなかった。だから安田擁護派が主張する「国家の国民保護義務」を履行するためには憲法9条の解釈変更もしくは改正が必要となる。

 しかし管見の限り、安田擁護派のほとんど全部が護憲派である。国家の国民保護能力を制約しておきながらその必要性を殊更、強調するとはどういうことなのか。

 そして今回の安田氏の解放を巡ってカタール政府が武装勢力に身代金を払ったとされる。常識的に考えればこれは日本政府が出資したものだろうし、武装勢力に資金が提供されたことにより現地の人々、在外邦人の平和が害されたことになる。在外邦人は本国・日本に家族がいるかもしれないし、よりシンプルに言えば「日本人」という記号が武装勢力の恰好の標的となったのだから我々、日本人全体の平和が害されたと言っても過言ではない。

 安田氏を「ジャーナリスト」と評価するならばジャーナリストが他人の生命の安全を害したことになる。

 安田擁護論で筆者が最も不満なのは安田氏の能力等について批判が出たときに擁護派は殊更、ジャーナリストの必要性を強調するところである。

 「ジャーナリストは民主主義を守っている」という類の言説で、これは言外に「だから安田は悪くない、正しい」と言っているのと同じである。「ジャーナリスト」の肩書を殊更、強調してそれがいなければ民主主義がおかしくなるといった言説は相手の足元を見た極めて不誠実ものである。

 そしてこの種の言説が出るということは、実のところ安田氏はジャーナリストとして誇るべき成果が何もないということの証左でもある。

 さて、今後の展開だが安田氏のことだから再度、中東の戦場に行く可能性がある。

 そして再度、拘束され、その解放のために関係機関は膨大な労力を費やすだろうし、武装勢力に、また資金が提供されるかもしれない。

 そして我々、日本人の平和が害される。安田氏によって我々、日本人の平和が今以上に害されるのだ。

 国家(日本政府)は国民からパスポートを没収することはできるが、これは憲法上の疑義が残る。正直、法理論上、この措置を継続していくことは無理だろう。

 また国家(日本政府)がパスポートを没収したとしても便宜的に外国の国籍を取得する、つまり「二重国籍」を選択すれば日本以外の国でパスポートを発行して出国することもできる。そして今回の事件の例で言えば安田氏は韓国籍を取得しており、どうもそれを悪用して出国したようである。

 またパスポートの精度が悪い国、あるいは紛争国のように適正なチェックができない国は「偽造」も通用するだろう。要するに安田氏の再出国を防ぐ手段は現在の国家(日本政府)では限界がある。それは言い換えれば「国家の国民保護義務」が完遂できないということになる。

 近代国家は国民の自立救済を禁止しその代わりとして存在している組織である。その国家が国民を救済できないならば国民の自立救済、つまり日本人自らによって安田氏の再出国を防止する措置も肯定される。

 それは要するに再出国に関することに限り安田純平を「法の保護」の外に置くことになるわけだがどうだろうか。

 もとより筆者は違法行為には強く反対するものである。しかし安田氏の再出国防止に関しては「違法だが正当である」程度の理屈が成立してしまう。それは結局、「第二の赤報隊」になる。安田擁護派が本来やるべきことはジャーナリストを辞めるよう安田氏を説得することである。

 誤解のないよう繰り返すが筆者は違法行為に強く反対しその推奨を意図するつもりもない。ただ一つの考えを提示したに過ぎない。「思考実験」の類である。

 最後に安田氏を「英雄」と扱う日本の大手マスコミに対して問いたい。繰り返し拘束され、武装勢力への資金提供を許し、その結果、他人の平和を害する人間を本当に「ジャーナリスト」と評して良いのか。そうだとするならば筆者は日本にジャーナリストはいらないと断言する。

 今回の騒動により大手マスコミへの反発・嫌悪は無党派層にも拡大したと思われる。この騒動を機にマスコミに対する各種優遇措置を全廃すべきだろう。 

過激分子の思考を考える。

 休日に街を散策していると時折、街宣車に乗った右翼団体が駅前で演説しているのに出くわす。内容は「北方領土を返還しろ」とか「日教組解体」とかである。毎回毎回、同じ主張を繰り返しているがこれらの主張は実現していない。それは日本政府の責任でもあるが、街宣右翼が自らの主張を実現するために、例えば政治家に働きかけるとか具体的なことをやっているのか疑問である。もしかしたらやっているのかもしれないが成功という結果は出ていない。
 街宣右翼は筆者も含めてほとんどの人が「迷惑集団」としか認識していないだろう。
 翻して日本型リベラルの街頭行動だが、具体的にはデモ・署名活動である。筆者の独断と偏見で言えばやはり高齢者が目立つ。そしてこれらの行動も成功しているとは思えない。2015年に集団的自衛権の限定解禁を容認した安保法制を巡り国会を大規模デモが取り囲んだが、その安保法制は可決した。
 そもそも日本は憲法前文で議会制民主主義の採用を宣言しておりデモや署名などの触接民主主義はその「補完」に過ぎない。
 街宣右翼のような極右そして日本型リベラル全般に言えることは、彼(女)らは「手続き」という発想が驚くほど乏しいのである。もともと抽象的表現を好んで使う傾向があり、もちろん抽象表現自体に問題はないが、それを具体化するという発想は乏しく、論者によっては全くない。彼(女)らは自分の主張した抽象的表現がすぐさま実現するかのような言い回しをする。しかし実際、物事は抽象を具体化する作業が必要であり、要するに、それは他人を説得することである。
 しかし過激分子は多数派形成が不得意であり、だからこそ少数派であるし少数で社会を変革したいならば結局、多数派を攻撃するしかない。攻撃を通じて「多数派に変革を強いる」のである。
 政治家と言っても肉体的には当然、我々と変わらないし守るべき家族もいる。過激分子の標的となり攻撃されたらたまらないだろう。
 極右は愛国心に基づき外国を攻撃する。要するに「日本を守る」という意識で行動している。また日本型リベラルは「憲法を守る」とか「民主主義を守る」という意識で行動しているのは間違いない。何かを「守る」という意識は被害者意識を持てるため自己正当化しやすい理屈である。彼(女)らが「守る」と考えるものは「日本」「憲法」「民主主義」といったスケールの大きいものばかりである。

 そしてこれら巨大なものを変革したいと思うならば責任ある立場、具体的に言えば政治家を目指すのが普通だと思うが、彼(女)らにその発想が乏しいのである。巨大な組織・システムは責任にある者によって運営されている。政府も私企業も無責任な者には運営できない。だから「日本」「憲法」「民主主義」を「守る」と思うなら政治家を目指すのが筋である。
 多数派形成能力のなく他者攻撃に熱心な過激分子にとってこの種の言葉はスローガンに留まることが多い。もっともスローガンで留まるなら良い方で他者攻撃を正当化する根拠になっている。

 過激分子にとって「日本」「憲法」「民主主義」は守られるべき存在であった。言い換えれば「弱者」である。この「弱者」という表現が肝である。「弱者」を守るためには自らは「強者」にならなくてはならない。「強者」は「弱者」を超える存在でなければ成立しない。だから過激分子たる極右・日本型リベラルは「守る」べき主体である「日本」「日本国憲法」「民主主義」を意識の面では超越している。

 もっと言えば過激分子は意識の面では法を超越していると言っても過言ではない。
過激分子はどうも「法を超えた正義」みたいなものを認めており、その「正義」は彼(女)らが守ろうとしているものである。「日本」「憲法」「民主主義」も「法を超えた正義」の扱いである。

 これらは法理論とは別の次元で論じられるべきものだが法を超えたものではない。この中でとりわけ議論を呼びそうなのは「民主主義」だが、筆者は「民主主義とは何か」と問われれば「手続き」と答える。確かに日本の政治は手続きに非常な手間がかかるものである。日本で「何かを変革する」「何かを実現する」には相当な時間と労力が必要とされる。分野によっては一生涯をかけなくてはならない。
 日本はディベート文化がなく公の場で議論される前に「打ち合わせ」と称して議論のシナリオが作成され、公の場はそれを読み上げる作業で終わる。「打ち合わせ」中のやりとりも議論ではなく「駆け引き」である。だから共通理解が形成されない。
 また日本は全会一致を尊ぶ社会であり、そのため少数派が大きな影響力を持つ。「全会一致」は議題を理解していない議論参加者にも意思決定権を与えるものだから「無責任な拒否権」を発生させる。「そんなの聞いていない」という次元の意見すら尊重される。
 そして「無責任な拒否権」は「腐敗した拒否権」へ一瀉千里である。拒否権行使を目的化した議論参加者を誕生させる。
 日本社会では意思決定の手続きに膨大な負担がかかるから多数派形成を諦める勢力も出てくると言えるし、逆に全会一致により少数派の意見が過剰に尊重されるから、それを期待して多数派形成を怠る勢力が出てくるとも言える。
 過激分子が跋扈しないようにするためには日本の議論文化・意思決定システムを抜本的に見直す必要があるが、さすがにこれはスケールが大き過ぎる話である。ただ「議論がまとならないのが日本文化」ぐらいの意識は持てるだろう。
 過激分子は多数派を形成しないが多数派を扇動することには長けている。これは極右よりも日本型リベラルが得意とする。前にも触れたが日本型リベラルは「弱者」「被害者」に寄生してその決起を促す。「あなた方は社会から虐げられていますよ」といった具合だ。
 自民党所属衆議院議員杉田水脈氏のLGBT論文の文言を巡り例のごとく日本型リベラルは集団威圧を伴う批判を行ったが、それに対して「対決より解決」という意見が出た。日本型リベラル批判として実に良い表現である。
 過激分子は意識面では法を超越し情緒的表現を駆使し世論の分断を図る。特に重要なのは法を超越した意識を持っていることであり、要は治安問題である。
 彼(女)らと直接対決は危険だし、説得も困難である。我々「保守」は過激分子の動向を適宜、確認しつつ自らの理論を発展させつつ無党派層から支持を得る方策を進めて行くのが良いだろう。

 無党派層からの支持を得るには同層が持つ「保守への不安」に対し真摯に回答する必要がある。その第一弾として極右分子との接触拒否、具体的な団体名を挙げれば在特会日本第一党とその系列団体との接触を一切拒否することだろう。極右は保守にあらずだし保守の足を引っ張り「保守への不安」を醸成する存在であることを忘れてはならない。

 

過激分子の国政介入を考える

 現在の若者は活字を読まない。活字を読むのは高齢者であり、特に政治・思想系の活字は高齢者が圧倒的と言われている。若者は読書をしないことは嘆かわしいことだが、一方で彼(女)らが政治・思想系の読書を避けるのは難解さもあるがその実用性だろう。   

 「社会に出たら何の役に立つのか」というやつである。昭和の時代と異なり雇用の安定が保障されない現在では若者はより実際的である。

 時折、メディアで「若手評論家」が紹介されることがあるが、彼(女)らの中で若者を代表しているものはどれくらいいるのだろうか。筆者の独断と偏見で言えば「文弱」ばかりではないか。「文弱」は若者の世界では少数派であり、とても「代表」にはなれない。
 冷戦終了後、イデオロギー論争は事実上、終わった。歴史学者フランシス・フクヤマが「歴史の終わり」を宣言し四半世紀以上立つ。もちろんことはそう単純な話ではないが政治・思想系の活動に従事する人間は肯定的に評価されなくなった。
 これらの分野はむしろ「一般人」から乖離した人間が従事するものと評価され、デモに参加する人間は「プロ市民」とまで言われるようになった。

 実際、日本では「活動家」が目立つ。有名なのは街宣右翼だろう。続いて左翼系団体のデモ・署名活動だろうか。街宣右翼は駅前で例えば「北方領土奪還」を訴えるがどこまで本気で考えているのだろうか。また左翼のデモ・署名活動も成功しているとは言い難い。日本では「活動家」は常に少数であるし、そのほとんどは「極右」「極左」と表現しても良い。
 政治・思想活動に活発な人間が少数であることの裏返しとして日本は無党派層が多いこともよく知られている。
 戦後を顧みれば左右両派の争いは国政次元では自民党―旧社会党を両軸とする55年体制である。高度経済成長に伴い「社会主義の建設」が霧散し左右両派争いは憲法9条を基軸とした安全保障政策に収斂した。

 しかし戦後日本の安全保障政策は「対米依存」を基軸とし国民負担も低かったため、その関心も低かった。だから戦後日本では左右両派を決定づける問題すら国民的関心事ではなく、そのため無党派層が増大した。国政は無党派層の動向に左右され強力な「主義」が全体を牽引することができなくなった。強力な「主義」を主張する極右・極左はまさに世論から乖離した勢力となった。ただし彼(女)らは決して消滅しなかったことに留意しなくてはならない。
 極右・極左といった過激分子はいつの時代のどの国でも基本的に少数派である。

 しかし彼(女)らは結束力が強く極めて行動的である。一定数集まれば小さくない脅威であり、一個人なら十分にその発言と行動に制約を強いることができる。はっきり言って「黙らせる」ことも可能である。
 過激分子の行動原理は多数派の形成ではなく他者攻撃である。民主主義が「敵」を「異論」に置き換えている制度であることを考えれば、やはり過激分子の存在は極めて問題である。彼(女)らは自らが少数派であることを自覚し、そのマイナスを補うために「多数派の中枢」を攻撃し麻痺させる。これについては依然、述べた。
 その他にも過激分子が国政中枢に介入する危険性について触れたい。

 過激分子の国政介入パターンとして「国会議員を介する」という手法もある。日本は全会一致を尊重する社会で国会運営も野党を極めて尊重している。野党の「欠席」が「職務放棄」と看做されないのも日本ぐらいだろう。全会一致の意思決定システムは少数派の発言力が大きく。外部の過激分子がこの少数派と接触してしまう。

 過激分子と接点を持つ野党が与党に転じたらどうなるのか。
 かつて飯島内閣官房参与がテレビに出演し「民主党政権時代、80人もの左翼が首相官邸に自由に出入りしていた(入館パスを持っていた)」と発言している(故たかじん氏の番組より)
 戦後、旧社会党を代表とする野党は政権獲得の意思を放棄したため大衆的支持が低く労働組合の固定票に依存した。「万年野党」ならば組合の固定票だけで十分だったのである。旧社会党では選挙実務を仕切る「活動家」が幅を利かせ理論面では党本部事務局が事実上、政策を立案していた。これは日本共産党でも確認されている現象で「官僚」という人材供給源が乏しいため左翼政党では政治家より活動家・学者・マスコミ人が影響力を持つのである。もっと言えば左翼政治家自体、これらの出身者である。
 彼(女)らは職業柄、対等な立場で一般市民と接する機会が限られているので、その思想・思考はやはり観念的である。他人とは「説得」ではなく「啓蒙」すべき対象に過ぎないと思っている。
 戦後、そのほとんどの期間、政権与党は自民党だったが結党当初は別としては現在の自民党は与党経験が長いから過激(極右)分子の流入は考えにくい。仮に流入(入党)したとしても容易に軟化されるか、せいぜい「ガス抜き」要員で終わる。

 「政権担当能力」とは要は法案と予算の精査能力である。理想は「立案能力」だがさすがにこれは厳しい。官僚の方が長けている。
 論を戻すが「法案と予算の精査能力」とは要は「文章と数字」の世界であり、過激(極右)分子特有の誇張表現が介入できる余地はない。

 また過激(極右)分子の関心は憲法・安全保障・教育分野に限られており、これはとても単に「与党」というだけで改革できる分野ではない。日本会議の主張もあまり反映されていないと思われる。
 国政を見るとやはり目立つのは野党の貧弱さである。与党経験が圧倒的に乏しいため過激(極左)分子の流入を阻止できていない。それどころか過激(極左)分子の思想に染まっている印象すらある。
 筆者が注目しているのは立憲民主党であり、同党と極左分子の距離は相当に「近い」という印象がある。立憲民主党の枝野代表は過去に極左暴力集団たる革マル派関係団体から献金を受けていた。控え目に言って単なる「カネだけのつきあい」だろうが、金銭の授受はそれだけで終わらない可能性もある。他人との「貸し借りの関係」を築くのはやはり金銭のやりとりが最もシンプルで効果的である。

 また極左暴力集団に所属こそしていないがその「周辺者」という意味ではかなり疑わしい人物・団体も立憲民主党周辺に存在している。最近、同党は放射能に関する著しく偏向した情報を内外に発信していたタレントを参議院選挙に党公認候補として擁立することを決定した。このタレントの主張を見る限りどう考えても一般人ではない。

 このように立憲民主党は「立憲主義を取り戻す」だけで結党された一種の「スローガン政党」であり、だからこそ有象無象の者も参加できる。このタレントの擁立劇を見る限り枝野代表の公認権の実態を疑わざるを得ず、氏は案外、党内基盤が弱いのかもしれない。
 論を戻すならば未熟な野党は過激分子の国政介入の余地を与えているのである。
 景気が良く活力ある社会で過激分子が跋扈するとは考えにくい。常識的に考えれば荒んだ社会の方が過激分子は跋扈する。
 雇用が安定し賃金が持続的に上昇する社会であれば過激分子の拡大も阻止できるし対抗措置(警察官の増員等)も充実できる。
 そういう意味では景気回復・社会保障の充実こそが最高の過激分子対策と言えよう。
もっともこれはかなり抽象的な意見である。筆者としてはより具体的な過激分子対策を検証していきたい。

「空想的平和主義」から「妄想的平和主義」へ

 戦後日本では憲法9条を守ることが平和に繋がると言う「平和主義」は「空想的平和主義」と評された。もちろんこの表現は侮蔑的意味を含んでいる。

 もう少しマイルドな表現としては「理想主義」が挙げられる。この「理想主義」の対義語は「現実主義」であり、現在でも安全保障論議で「現実には~」といった類で使用されている。

 この「現実主義」を巡っては戦後の代表的進歩的知識人たる丸山眞男の「『現実』主義の陥穽」が有名である。丸山によれば大日本帝国は「現実」という言葉が議論を制し、全体を引きずり最終的に破局したと言う。もっとも対米開戦はある意味「非現実主義」が作用した結果とも言える。

 また筆者は、これは「現実」という言葉の「意味」の問題ではなく「用法」の問題であると考える。もっと言えば議論されるべきものはディベートを忌避する日本の議論文化である。

 論を戻そう。理想主義が全盛だった戦後初期、それに一石を投じたのは国際政治学者の高坂正堯氏である。氏は中央公論に「現実主義者の平和論」を発表し論争を引き起こした。

 内容は「現実」を唱え「理想」を否定するのではなく「現実」と「理想」の対話である。日本では「理想」と「現実」は対立関係に見られがちだがこれは正しくない。「理想」と「現実」は密接に関係している。もっと言えば「理想」と「現実」は直結している。「理想」は未来にしかなく「現実」は現在にしかない。

 もっと言えば「理想」と「現実」の関係は時間軸で表現した方が理解しやすい。「未来」と「現在」は直結している。現在の振る舞いは未来に影響を与える。現在の現実の行動の積み重ねが未来の理想を作るのである。

 例えば憲法9条を巡る議論で日本型リベラルは憲法9条を「武力なき平和」と表現する。そしてこの「武力なき平和」を実現するためにも「現在」を冷静に見つめる必要がある。「未来」と「現在」は繋がっているのだから「武力なき平和」という「未来」を実現するためにも「現在」の憲法9条2項を削除するという考えも成立する。

 憲法9条2項を削除し現実的な外交を展開しつつ各国の武装解除を進め、例えば「国連加盟国が保有武力を同時一斉に放棄する」といった具合で「武力なき平和」が実現された時に憲法9条2項を復活、憲法に再明記すれば良いだけである。「武力なき平和」は必ずしも9条2項の存在を常に前提にしない。9条の理想」は9条を常に必要としていないのである。

 だから高坂の言うように「理想」と「現実」の「対話」は本来、可能である。そしてこの高坂は実際に「理想主義」との「対話」をすべく戦後当初、日本の「非武装中立」を唱えた東京大学教授(国際政治学坂本義和氏の研究室を訪問し、安全保障を巡り議論した。しかし双方の感想は「話がかみあわない」というものだった。

「話がかみあわない」理由として「理想主義」者たる坂本は「彼(高坂)は空襲を免れた京都育ちのせいもあるかもしれませんが、話していて、この人は「戦争の傷」を骨身にしみて経験していないという印象を禁じ得ませんでした。」と述べている

 相手と議論が成立しない場合、普通、相手の知識不足を指摘すると思うがさすがに高坂にはそれは通じない。そこで坂本は「戦争の傷」を根拠に挙げた。

 要するに「戦争体験」の差である。しかしこれはどうだろうか。21世紀の現在から見れば相当な違和感がある。正直、学者の意見なのかと思うほどである。しかし戦後前半期までは「戦争体験」は全ての日本人の言論に影響を与えた。筆舌を尽くしがたい経験が後の人生を拘束することは特段、不思議ではない。

 このように戦後日本で「理想」と「現実」の「対話」を妨げたのは「戦争体験」だった。「戦争体験」が「空想的平和主義」を成立させていたのである。「空想」するにも理由があったのだ。

 そして「戦争体験者」が減り「戦後生まれ」が圧倒的となった現在、「理想」と「現実」の「対話」は成立するはずである。だがそのような風潮はない。

 「戦争体験」を背景とした「理想主義」者は憲法9条を守ることこそが日本の平和を維持する手法だと考えた。論理的とは言えないが「戦争体験」がそれを超えたのである。

 そして「戦後生まれ」はこの思考様式だけを継承した。あくまで思考様式だけである。「戦争体験」という背景がないから何故、憲法9条を守ることが平和に繋がるのかわからない。

 今の「理想主義」者、要するに日本型リベラルで「戦争体験」者は圧倒的少数で運動の中枢にもなっていない。「憲法9条の条文を読んで感動しました」とか「ピースボードで世界一周して平和に目覚めました」と言った程度であり「空想的平和主義」という言葉すら上等過ぎる。日本型リベラルは「妄想的平和主義」で十分である。

 「空想」は「現実」を意識して唱えられるものだが「妄想」は現実を無視して唱えられるものである。日本型リベラルが主張する「現実を憲法に合わせるものだ」という類の意見はまさに「妄想的平和主義」に基づくものである。彼(女)らは事実上、「日本人は憲法9条のために犠牲になれ」と言っているのに等しい。

 そして日本国内にこのような勢力が存在していること自体、対外侵略を誘発する。日本型リベラルの存在自体がもはや平和の脅威となっている。

 

 

 

 

 

 

 

「社会主義」が原動力だった昭和の大日本帝国

  日本の政治文化の特徴として「権力の分立」が挙げられ、それは大日本帝国時代においても確認される。内閣総理大臣は「同輩中の首席」に過ぎず、各国務大臣は個別責任だった。またその責任も天皇に対して負うだけだった。

 日本国憲法では内閣総理大臣国務大臣への任免権が付与されたが、その行使は基本的には政局絡みであったし官僚の人事には基本的に関与せず、するようになったのも2014年に内閣人事局が設置されてからである。
 しかし内閣人事局への批判は財務省を中心に多く、安倍政権終了後、その運用面で政治主導が発揮できるか疑わしい。
 大日本帝国は権力の分立が憲法次元で保障されていた。もちろんそうなると権力の中心核がなくなり意見集約ができなくなるが、それは明治維新の功労者たる「元老」が補った。 
 その元老も複数存在し、この事実は権力分立を是とする日本の政治文化の根深さを物語る。
 元老が中心核となり意見集約を進めていたわけだが、当然、その元老もいずれ鬼籍に入る。そして元老の代表格である山縣有朋存命時に政党内閣たる原敬内閣が成立するなど「元老後」は政党が政治の中心核となり意見集約を期待された。

 政党は「原暗殺」など紆余曲折を経ながら基本的にその勢力を拡大し最終的には政党政治は政友会・民政党の2大政党が担った。
 しかし政友会・民政党の両党はお互いの政策を競いあう「正の競争」ではなく汚職・失言など相手の誤りを攻撃する「負の競争」に終始したため世論の離反を招いた。
 また政党政治の制度的基盤が弱かった。「憲政の常道」とは慣習・慣例であり確固たるものではなかった。それでも政党は政治勢力として有力だったが中心核には成り得ず満州事変を機に陸軍が台頭した。
 1930年代の陸軍の政治的台頭として「統帥権の独立」「軍部大臣現役武官制」などの制度的優越が挙げられるが参謀本部が内閣から独立していたからと言って直ちに優越するとは限らない。
 また内閣の一員たる陸軍大臣参謀本部を含む全陸軍人の人事権を持っていたし議会は予算を通じて参謀本部を掣肘することもできた。

 つまり制度上は内閣・議会は陸軍を掣肘できるだけの権限を持っていた。しかしそれができなかった。要するに問題は運用にあった。
 陸軍の台頭で興味深いのは永田鉄山を中心とした昭和陸軍は「総力戦」に対応するため単なる軍備充実に限らず「国家改造」すらも提案した。
 永田が発刊した陸軍パンフレットたる「国防の本義と其強化の提唱」では「国家改造」の必要性を説き、その中には「農業漁村の更生」が提唱されている。

 これは現在で言えば自衛隊が「農業の自由化」について政策提言しているようなものであり、陸軍パンフレットがどれほど異例なものなのか想像できるのではないか。
 軍隊が「平時」に求められることは基本的に訓練・装備開発・作戦研究であり、政治との接点は大体において議会答弁・予算編成である。

 だから「国家改造」は政治介入に他ならないが陸軍は「総力戦」を理由にこれを正当化した。「総力戦」とは一国が有する「ヒト・モノ・カネ」の全資源を動員しその戦力化を図るものである。全資源の動員を図る大前提として中央政府による各種調査に基づく統計整備、民間資源と軍事資源の共通化がある。
 「民」と「軍」の境界をなくし中央政府が国内の全資源を管理するのである。

 既視感がないだろうか。「中央政府による国内の全資源の管理」とは社会主義の特徴である。

 要するに総力戦体制と社会主義体制はその機能面では一致するのである。
 そして陸軍が台頭した1930年代は1929年の世界大恐慌の反動もあり「資本主義の没落」が知識層に意識された。

 大日本帝国は皇室打倒を含む「革命」を強く警戒していた、しかし「社会主義」については必ずしもそうではなかった。
 商工官僚だった岸信介ソ連の第一次五か年計画策定の報を聞いて「私はあの計画を初めて知った時には、ある程度のショックを受けましたね」と述べたことはよく知られている。

 社会主義とは理念上は「平等」が実現された社会である。問題はその達成手段が「革命」とか「計画経済」であることである。
 陸軍が総力戦体制の確立を追求するなか社会主義と同様の「国家改造」に到達したことはなんら不思議ではない。だから陸軍が提唱した「国家改造」「高度国防国家」とは事実上、「日本の社会主義化」と言っても過言ではない。
 注意しなくてはならないのはここで安易に「コミンテルンの陰謀」云々を唱えるのではなく「権力分立」が是とされた大日本帝国で「国家改造」「高度国防国家」といった社会主義を含意するスローガンを基軸に意見集約が進んだのである。

 その旗振り役はもちろん陸軍であり他の政治勢力と比べて突出した勢力であったが「独裁」は敷けなかった。
 権力分立の世界では「スローガン」は全体を動かす「力」になる。「原動力」と言っても良い。問題は諸勢力間の課題が解消されないまま全体が動くので矛盾が解消されないまま、ただただ全体が前に進むのである。
 1930年代の陸軍は「総力戦」という「大きな戦争」に対応するために「中国大陸に有る軍事資源確保を目的に出兵する」とか「治安維持活動の範囲内だから問題ない」といった具合に「小さな戦争」を肯定した。結果的にその「小さな戦争(=満州事変・盧溝橋事件)」が「大きな戦争(=アジア・太平洋戦争)を招いてしまった。
 「小さな戦争」から「大きな戦争」に至るまでの矛盾はスローガンが覆い隠してしまったのである。
 もちろん対米開戦に至るまでの経緯は他にも色々あるがやはり日本特有の政治文化たる「権力分立」が最大の作用を発揮している。誤解がないよう強調しておくが「権力分立」が悪いわけではない。問題はその不都合が解消されないことである。
 昨今の内閣人事局憲法への緊急事態条項の追加への批判を見る限りこの「権力分立」の政治文化は根強い。

 そして前記した批判例を見てもこの種の批判を行っているのが日本型リベラルである。彼(女)は我々「保守」以上に「日本」的存在である。