保守の視点

「保守の視点」から政治・歴史を語る

「思想」は死んだが「思考」は生き残った。

 いわゆる「左翼」をより大きい視点で表現すればそれは「進歩」である。過去に世界を席巻した共産主義もまた「進歩」である。左翼の本質は「進歩」派であり、現状の変革を目指す。これを日本に充てはまれば左翼の関心は日本の「遅れ」「歪み」と言った部分である。

 現状の変革を目指す左翼だが問題はこの「変革」の手法である。かつて共産主義者が熱心だったのは「革命」であり、それは要するに暴力による政権転覆である。日本では暴徒による国会、首相官邸の占拠が念頭に置かれ、その準備として大規模デモが行われた。

 こうした左翼の「闘争至上主義」とも言える変革手法は一般国民の反発・嫌悪に会いデモに参加すること自体、忌避させた。運動の対外的拡張が期待できなかった左翼はそのエネルギーを内部に受け、仲間すら攻撃した。いわゆる「内ゲバ」である。

 その結果、左翼はますます大衆的支持を失いその勢力を著しく減退させた。冷戦終了後、「左翼」の権威は更に低下したが消滅したわけではなかった。看板を「左翼」から「リベラル」にかけ替えたのである。便宜上、これを「日本型リベラル」と呼ぶが、その思想・思考は「左翼」時代から続いている。

 日本型リベラルで目立つのは独善から来る攻撃・排他性である。彼(女)らの本音は自らが信奉する「進歩」的思想のためならば反対派の存在自体を否定しても良いと思っている。しかし相手の存在自体を否定することは民主主義に反することである。

 大雑把に言えば民主主義とは相手の存在を否定せず認め「対話」を通じて合意点を見出し段階的に問題を解決していくシステムである。要するに民主主義に「敵」はなく存在するのは「異論」だけである。

 だから相手の存在自体を否定する行為(ほとんどが違法)はもちろん言論であっても存在の否定は認められない。ところが日本型リベラルにこのような発想はなく「異論」に「差別主義者」「ネトウヨ」と言ったレッテル貼りして徹底的に攻撃する。

 この「レッテル貼り」は日本型リベラルの左翼時代からの得意技でかつて共産主義者は対立相手に「反革命分子」という「レッテル貼り」をしてその殲滅(殺害)を図った。対立相手を一度でも流血させればあとはあとはもう泥沼である。憎悪が憎悪を呼び報復が報復を呼ぶ事態になり更なる流血を招く。そして日本型リベラルが主張する「進歩」的社会は一向に建設されない。

 このことから日本型リベラルを評価するにはあたって重要なのは「思想」よりも「思考」である。

 思想とは結果に過ぎない。そして思考とはその結果(=思想)に到達するまでの過程である。日本型リベラルは説明能力・伝達力が欠如しており彼(女)らの「思考」は結局のところ結果(=思想)に到達する過程に立つ「異論」の排除である。

 日本型リベラルが「排除」思考を肯定するのは彼(女)らが基本的に「インテリ」に属するからだ。しかし「インテリ」であっても説明・伝達能力が欠如しているため結局「反社会的インテリ」となってしまう。

 冷戦終結に伴い共産主義「思想」はなくなり、またネット空間の著しい拡大により「思想」はますます観念的となった。もはや、かつてのマルクス主義のように「大理論」が社会を席巻することはないだろう。

 しかし日本型リベラルの攻撃・排他性を見ると進歩的「思想」は死んだが「思考」は生き残ったと言える。むしろ現状打破思考は増長するばかりである。

 最近、LGBT論文の記述内容を巡り総合誌新潮45」が休刊に追い込まれた。出版不況によりもともと経営体力が不足していたこともあるが、日本型リベラルによる集団的威圧を含む抗議活動の結果と言えよう。他人を「説得」せず「攻撃」する、他人の自由を「拡大」させるのではなく「制限」するのが日本型リベラルである。

 また今回の騒動は新潮社内の「路線対立」の結果との指摘もある。今の若者は活字を読まない。政治・思想に関する情報はインターネットから取得する。その良し悪しは別として活字はもはや高齢者にしか需要がなくなった。

 そして今の高齢者、特に全共闘世代は「思想」の洗礼を浴びている。新規顧客の開拓ができないならば固定顧客をターゲットにした販売体制を採るのはある意味、当然である。

 しかしそれは出版社として左右の「路線」を明確にすることに他ならない。今回の休刊騒動を機に出版界はもちろん社会全体の左右対立は先鋭化して行くとも思われる。

 もちろん日本人の多くが「無党派層」であり左右対立と言ってもそれは局所的現象に留まるという指摘もあるかもしれない。

 しかし例え小規模であってもイデオロギー上の対立・衝突はその性格から「大規模衝突」を誘発しかねいし政治家も確実に巻き込まれる。要するに日本型リベラルの攻撃的行動により日本社会は緊張に包まれるのである。

 そしてこのような日本型リベラルの攻撃性を考えれば「日本型リベラル対策」の一環として警察力、特に警備公安警察の画期的増員が必要である。これは保守政権にしかできない。