保守の視点

「保守の視点」から政治・歴史を語る

「こんな人たち」列伝~白井聡の場合~ その2

 前回の記事で白井の日米同盟観を批判した。そして今回は白井の「戦後日本観」について論じたい。

 白井は戦後の日本人が「欧米人に対するコンプレックス(劣等感)とアジア諸民族に対するレイシズム」を有していると評価する。これに基づき戦後の日本人は日米同盟を背景に「アジアにおける唯一の一等国」とか「他のアジア人を差別する権利」の意識を持っているとも評価する。

 まず戦後日本の最大の特徴は「経済成長」であることは論をまたない。バブル崩壊以降、日本は長期不況に突入したが戦後日本の最大の特徴はやはり「経済成長」である。

 現在の日本人でも「飢餓」を恐れる者は基本的にいないと思われる。

 そして白井の言う「欧米人に対するコンプレックス(劣等感)」は戦後日本では同じく白井が言うところ「アメリカに追いつけ追いこせ」という感情に変化し、その結果、経済成長が達成され1980年代にはアメリカを追い抜く経済大国になるのではないかと評されたほどである。

 白井が「コンプレックス」という感情をどのように評価しているか知らないが「コンプレックス」が経済成長を果たすのならそれはそれで結構なことである。そして戦後日本の経済成長はアジア諸国に影響を与えた。

 白井は触れていないが中国、韓国と言ったアジア諸国の経済成長も日本からの経済援助を端に発している。白井の言葉を借りるならば「欧米人に対するコンプレックス」がなければ現在の中国も韓国も経済成長をしていなかったはずである。

 経済成長を果たしていない中韓両国は「貧困国」の次元に留まり、それは東アジアの国際政治に大きな影響を与えていたに違いない。弱体な韓国を北朝鮮が恐れるとは考えにくく「第二次朝鮮戦争」が勃発していたかもしれない。

 経済大国たる日本の対アジア援助が被援助国の国力の増大と地域の安定化に貢献したのは間違いない。

 また戦後の日本人が「アジア諸民族に対するレイシズム」を有していたのならばそもそも日本は中国、韓国と言ったアジア諸国に経済援助をしていなかったはずである。

 もちろん日本の対アジア経済援助は「共産圏への対抗」とか「事実上の戦後賠償」とか様々な意味を含んでいた。日本政府もこれら経済援助の「政治的意味」を曖昧にしてきたのは間違いない。それが現在「歴史認識問題」として跳ね返っている。

 論を整理するならば戦後の日本人が「日本人の欧米人に対するコンプレックス(劣等感)」を有していなかったら日本はもちろん中国、韓国と言ったアジア諸国も「貧困国」に留まっていた可能性がある。

 そして戦後の日本人が長期間、明日の食事すら困る貧しい状態だった場合「アジア諸民族に対するレイシズム」は生まれないということはあり得るだろうか。逆ではないか。

 「レイシズム」は豊かな状態よりも貧しい状態で発生すると考えるのが普通である。

 歴史を顧みれば第一次世界大戦後に極度な経済的混乱に陥ったワイマール・ドイツで「反ユダヤ主義」を掲げたナチスが台頭したことはよく知られているし、別に歴史を引用しなくても貧しい状態の方が人間の心が荒み排他性が増すということは常識でわかるはずである。

 そして白井の言う「アジア諸民族に対するレイシズム」にはどうも中国、韓国両国との間にあるいわゆる「歴史認識問題」も含まれているようである。

 しかし日本はこの「歴史認識問題」で中韓両国に配慮して教科書の記載内容の基準として「近隣諸国条項」を設けたり、また、いわゆる「元慰安婦」へ「償い金」を支給するために「アジア女性基金」も設立した。

 このように中韓両国に配慮している日本がどうして「アジア諸民族に対するレイシズム」を有していると言えるのだろうか。

 日本が「レイシズム」を有しているのならこれらの措置は採らなかっただろうし、中国、韓国両国から「歴史認識問題」を突き付けられたとき、日本は断固拒絶の姿勢を示していたに違いない。誤解を恐れずに言えばその方が案外、日中、日韓関係は安定したいかもしれない。

 以上のように白井が論ずる戦後日本には著しい偏見がありとても同意できない。

 言うまでもなくこの白井の理解の知的土台は「永続敗戦論」である。

 そして次回はこの「永続敗戦論」を踏み込んで考察したい。