「権力を縛る」とはなんなのか?~立憲主義考~
「立憲主義を取り戻す」がリベラル・護憲派の中で依然、強い言説を持っているが筆者はこれに反対する立場である。
リベラル・護憲派が主張する「立憲主義」に基づき制限される「権力」には「国民の代表者」という性質は含まれていない。
最近、立憲民主党所属の山尾しおり氏は「立憲的改憲」なる本を出版した。山尾氏は「権力を縛る」という趣旨に基づき改憲(立憲的改憲)を主張している。
前者は「専門家集団」であり民主的基盤が乏しい。一応、山尾氏が人事において国会関与の必要性を検討しているが、それも断言しているわけではない。
本書において山尾氏は安倍内閣が集団的自衛権の限定解除に向けて内閣法制局の人事に関与したことを強く非難している。「不文律」に触れたことを殊更、強調し批判しているが「不文律」に強いこだわりのある人物が憲法裁判所人事の国会関与に積極的になるとはとても思えない。むしろ「法の専門家」の立場を殊更、強調して国会関与の形骸化を図るのではないか。
要するに山尾氏が憲法裁判所への人事面での国会関与を検討しているのはあくまでポーズである。山尾氏は「政治家」というより「法の専門家」という意識の方が強い。
そもそも内閣法制局の人事に内閣総理大臣が関与することがなんの問題があるのだろうか。内閣総理大臣は国会議員がしかなれずその国会議員は民主的選挙を経て誕生した「国民の代表者」という性質を持つ。
立憲民主党は「権力を縛る」ということを殊更、強調するが彼(女)らの言う「権力」とは具体的になんなのだろう。
日本国憲法に基づく「権力」とは民主的選挙を得て選出された「国民の代表者」から成るものである。日本国憲法は前文において議会制民主主義の採用を明言している。
もちろん実際は政治家(=国民の代表者)だけで政治を行うのは不可能だから政治家を補佐するために官僚がいる。だから現在の「権力」とは「国民の代表者+官僚」と言える。
「国民の代表者」だから批判してはならないということはもちろんない。
批判は自由だが、批判する以上は根拠を示すべきであり、例えば森友・加計学園騒動のときに見られた「忖度していないこと証明しろ」などと言った言説は「批判」に該当しない。ただの難癖である。また、最低限のマナーも求められよう。要するに品格のある態度である。「品性」と「知性」は「車の両輪」の関係と言われるが「批判」に「品性」を求めた場合、東京新聞所属の望月衣塑子氏は「批判」の条件を達成することができるだろうか。
論を戻そう。
現在の「権力」を語るうえで最も重要なのはやはり「官僚」であって彼(女)ら法案作成と予算編成のプロフェッショナルであり、ある意味、政治家より権力がある。
ところが巷のマスコミなどを見ると例えば天下り斡旋問題で辞任した前文部科学省事務次官の前川喜平氏を肯定的に評価するなど驚くほど倒錯している。朝日新聞などのマスコミ関係者は「自分は官僚と同じエリートだ」とでも思っているのだろうか。
前記したように日本国憲法では議会制民主主義の採用を宣言しているにもかかわらず、どういうわけかリベラル・護憲派は議会制民主主義の活発化ではなくデモなどの社会運動を活用した直接民主主義の活発化に熱心である。そしてこの文脈から「抵抗」とか「対決」の必要性が強調、積極的に肯定され「異論の傾聴」や「合意形成」が等閑視される。
戦後においてリベラル・護憲派が直接民主主義の活発に熱心だった理由は彼(女)らが国政選挙では勝利できないという「現実」と「敗戦」の反動からくる過剰な「国家への嫌悪」そして「革命」を訴えるマルクス主義の流行が融合した結果であった。
このことは「在野勢力」に留まったリベラル・護憲派の自己正当化の論理と言って良いだろう。
また昭和の時代までは戦争体験者がリベラル・護憲派の中枢を占め、それが彼(女)らの主張に説得力を与えた。
この国家への「抵抗」とか「対決」への異例な傾倒が社会運動の過激化を推進したのは間違いない。学生運動はその最たるものであり、社会運動に過激分子が流入することで一般市民は社会運動への参加を忌避するようになった。「抵抗」とか「対決」は暴力の行使を匂わせるものであり、一般市民の感覚からすればとてもつきあいきれないもである。
この「闘争至上主義」とも言える運動の結果、社会運動の参加者は低調になり、また数的減少は社会運動の排他性を加速させ、社会運動に参加するものは「プロ市民」と評されるまでになった。
しかし東日本大震災に伴う福島原発事故の発生により再びデモが再評価されるようになった。また、近年ではヘイトスピーチ問題もありカウンターデモも活発化した。
そして何よりも安保法制を巡る議論では国会前デモが活発に行われた。この国会前デモを活発化させた「立憲主義を守れ」がデモのスローガンとなり「立憲主義」はまさに国家への「抵抗」「対決」を正当化する理論として採用された。
しかし「国民の代表者」が集う国会、政党本部を集団で威圧する姿はとても肯定できない。
「抵抗」とか「対決」を主訴とするリベラルはまさに「生産性のない」ものであり、そしてこれらを肯定するジャーナリズム・知識人はこうした過激行動を背景に我々が選出した「国民の代表者」を威圧・統制することを企んでいるのかと疑わざるを得ない。
彼(女)らに「魅力的な政策を提示して政権与党になろう」とか「他人を説得して多数派を形成しよう」などいった殊勝な考えはない。
責任が問われることを回避するために「在野勢力」の立場を維持したまま「立憲主義」の名の下、我々が選出した「国民の代表者」をスキャンダリズム、集団的威圧などを通じて攻撃し統制下に置く。
生身の人間で例えれば首元の頸動脈を常に抑えながら「自由にしても良いよ」という姿勢である。
もはや「立憲主義」は「国民の代表者」への「抵抗」「対決」を正当化する理論に過ぎず日本国民の分断・衝突を煽る以上の意味しか持たない。
そういう意味では「立憲主義」は守らなくて良い。
「大日本帝国」を欲する戦後民主主義
憲法改正の議論をすると高確率で「戦後民主主義」という言葉で出合う。
日本型リベラルの理解では「改憲=戦後民主主義の解体」であり、それは日本から自由・民主主義体制が消滅することであり、もっと言えば「大日本帝国の復活」である。
「戦後民主主義」の対義語は普通に考えれば「戦前民主主義」であるが、多少、思想史を学んだものであれば戦後民主主義の対義語は「大日本帝国」であることは理解できるはずである。
戦後民主主義の旗手のである丸山眞男が著書で述べた「大日本帝国の実在より戦後民主主義の虚妄に賭ける」の表現はあまりにも有名である。
戦後民主主義とは大日本帝国のアンチテーゼの言葉であり、なによりもその復活を阻止するための制度、運動である。言うまでもなくそれは日本国憲法と護憲運動である
1945年8月15日以降も丸山に代表されるいわゆる「進歩的知識人」達の中で大日本帝国は「実在」していた。
その理由は戦後も大日本帝国の指導者層が日本国憲法に基づく統治機構の中で戦前とほとんど変わらない有力な地位に就いていたからである。
昭和天皇はその最たるものであるし岸信介なども当然、含まれる。旧陸海軍の将校も多くが自衛隊に採用された。
丸山に代表される進歩的知識人達から見ればこうした事実は「大日本帝国の継続」に他ならなかった。
戦後民主主義の理解では日本国憲法は継続した大日本帝国を縛る「鎖」であり、同憲法を守り続けることを通じて「大日本帝国の復活」を防ぎ、最終的には「実在」している大日本帝国自体を解体し日本国憲法の理念を徹底する。その終着点は「共和制」である。
これが戦後民主主義を信奉する日本型リベラルの国家構想と言っても良いだろう。そしてこの構想は今なお小さくない影響力を発揮している。
しかし昭和天皇や岸信介が日本国憲法に基づく統治機構に組み込まれたからと言って「大日本帝国は実在」したと言えるだろうか。
連合国によって対米開戦を決定した主だった政治家、軍人達は死刑を含む厳罰を課されたし、いわゆる「公職追放」により大学人を始めとした知識層も相当程度失職し政治的社会的影響力を失った。
また、大日本帝国は大日本帝国があるがゆえに戦争し大敗北に陥ったわけでもない。
対米開戦に至るまでの意思決定プロセスは相当程度混乱し国家としての意見集約は事実上、なされていなかった。全体の意志すら統一できない国家がどうして機能していると言えるのだろうか。
やや穿った見方をすれば満州事変以降の軍部台頭により大日本帝国が機能不全に陥ったからこそ同帝国は最終的に大敗北を喫したとも言える。
常識的に考えれば大日本帝国は1945年8月15日のポツダム宣言受託ともに機能停止し、アメリカの占領により解体されたと見るべきだろう。
しかし戦後の日本型リベラルはこれを受け入れらなかった。控えめに言ってその感情は理解できなくもない。「戦争体験」という筆舌に尽くしがたい経験が後の人生を拘束するということは別段、不思議でない。しかしそれはどこまで言っても感情の問題である。
論を戻すが戦後民主主義を守らんとする日本型リベラルにとって皇室・自衛隊を含んだ国家は「大日本帝国の実在」を意味し、それは「敵」に他ならなかった。
要するに戦後民主主義は「大日本帝国」という「敵」の存在を前提としている。
言うまでもなく戦後、日本型リベラルはそのほとんどの期間が在野勢力であった。
彼らの大規模デモを始めとした在野行動は体制内の行動ではなく体制打倒の行動だった。
そして在野勢力という事実が彼・彼女達から責任感を喪失させ、また思想・行動を過激化させ国際的に見ても異様な反国家主義、もっと言えば「反日」が確立した。
この文脈に基づき日本型リベラルは国家に本来期待されている国民の生命と人権を守る安全保障機能すら否定した。その「煽り」をもっとも受けたの言うまでもなく自衛隊であり、次に警察である。
日本型リベラルは日本国憲法に基づき民主主義手続きによって確立した政府にすら「大日本帝国の実在」を嗅ぎ取り、それを打倒しようている。
要するに日本型リベラルは民主主義などどうでも良いのである。
日本型リベラルはその思考・態度において明らかに民主主義を超越している。彼・彼女達は民主主義社会の一員ではなく、そのことになにも引け目を感じていない。
むしろ自分達は民主主義の「守護神」という意識であり、違法行為すら認められると思っている節すらある。「守護神」だから民主主義社会の「外」かつ「上」にいる意識である。
客観的に見ればもはや大日本帝国の指導層は鬼籍に入り「大日本帝国の復活」の余地は全く無い。もはや大日本帝国は「実在」しないのだ。
戦後日本で「大日本帝国の実在」を念頭に置いた在野運動が一定の支持を受けていた最大の理由は戦争体験者が運動に参加していたからである。
戦争体験者が「国家は危険な存在だ!」と言えば、合理性はないがそれはやはり説得力を持つ。しかし戦争未体験者が同じ台詞を言っても全く説得力はない。戦後生まれの政治家が言えばかなり無責任に映るのではないだろうか。
現在の日本型リベラルのほとんどが戦後生まれであり戦争未経験者である。彼・彼女らは「大日本帝国」を知らないが「運動の方便」として「大日本帝国」を必要としている。
日本型リベラルは「大日本帝国」を欲している。日本型リベラルには「敵」が必要なのだ。
こうした思考・態度は国内の対立・衝突・分裂を助長するだけであり反民主主義的思考・態度と言っても良いだろう。そしてこの思考・態度の「核」となるのが憲法9条である。
このことから憲法改正、特に9条改正は「自衛隊に誇りを与える」とか「国防の議論をわかりやすくする」という次元に留まらない。
例えば9条2項が削除されれば日本型リベラルはたちどころに解体するだろう。立憲民主党を始めとした野党の存在意義も消滅する。そしてそれは日本にとって良いことである。
現在、論じられている9条加憲案は9条2項削除ほどの政治的インパクトはないが「憲法の聖典化」という事実を崩せるし「改憲」への国民の心理抵抗も小さくなる。
それは日本型リベラル、もっと言えば戦後民主主義にとって打撃に他ならない。「敵」を前提とする戦後民主主義は日本の民主主義の撹乱要因に他ならず積極的に解体すべきである。
そのためにもまずもって安倍自民党が提示した9条加憲案を実現させることだろう。
安倍流に言えば「戦後レジームからの脱却」への第一歩である。
「法律家共同体」による権力の簒奪
現在、護憲派の間では「立憲主義を守る」が大流行である。安倍内閣による集団的自衛権の行使を可能とする憲法解釈変更の閣議決定以来、「立憲主義」は知識層ではもちろん一般層にも広がったように見える。
護憲派によると「立憲主義」とは「権力を縛る」ことであり、この文脈から集団的自衛権の行使は憲法上認められないとのことである。更に言えば最近の安倍内閣の国会運営もまた立憲主義に反するらしい。
筆者は偶然、この「立憲主義」を説明する簡単な4コマ漫画をネット上で見た。
それには「縛られる権力者」の例示として中世ヨーロッパの国王が示されていた。
どうせなら日本史上の権力者を示すべきではないかと思ったがそれはともかくとしてこの漫画の表現には違和感が残った。
中世ヨーロッパの国王は超然とした権力者でありまた世襲である。これを「縛る」という名目で「立憲主義」が論じられることは問題はない。しかし現在の日本でこの4コマ漫画で示された権力者に該当する存在はいるのだろうか。
天皇は中世ヨーロッパの国王と同様、世襲制であるが歴史的にも権力者とは言えない。
現憲法下では天皇は「象徴」であり権力の行使は完全に封じられているし「天皇親政」を期待する声も全く聞かない。探したらあるのかもしれないが今後、主流になるとはとても思えない。
安倍首相は世襲議員であるが世襲権力ではない。国政選挙を経て国会議員になり憲法上の手続きを経て内閣総理大臣になったのである。
確かに世襲議員であるから市民感覚があるとは思えないがそうだとしてもやはり選挙を経て国会議員なり、また憲法の手続きに基づいて内閣総理大臣になったのである。
ここで重要な視点は現在の日本の「権力」とは民主主義に基づき確立されたものでありその本質は「国民の代表者」である。決して中世ヨーロッパの国王と同じではない。
ところが巷の「立憲主義」論を見る限りこの点が完全に抜け落ちている。
例えば国際政治学者の篠田悦朗氏は「国民主権論の名のもとに、ひたすらに政府を制限しなければならないことだけを唱える日本の憲法学における「立憲主義」は、日本国憲法が前文で謳っているような「立憲主義」とは異なる」と現在の立憲主義論を明確に批判している。
「立憲主義」なる言葉が殊更、強調されて「権力を縛る」ことが追求されて国家に期待された役割、特に国民の人権と生命の守る安全保障機能が発揮されないのならばそれは本末転倒に他ならない。
世界史において人権論が興盛したのは18世紀後半からだが、人権論の興盛と同時に国家機能は整備されて行った。特に「近代警察」と呼べるものは人権論とともに発展したと言っても良い。
「近代警察」成立するまでは治安維持は国家の仕事ではなく民衆の自立救済によって図られた。自立救済とは要するに当事者同士による解決であり、それは当然、流血の自体を招いた。人権救済は当事者間で行うよりも中立的な政府(警察)に委ねた方がはるかに平和的である。一方で国家に人権救済機能を委託するということはそれは言い換えれば国家に軍隊、警察と言った暴力装置の独占を許すことである。
近代以降の国家とはもれなく「暴力装置」である。「国家は暴力装置」という表現は否定的に評されることが多い。確かに「暴力」はともすれば「支配力」に転化する要素がある。この文脈で「権力を縛る」という論は一定の説得力がある。
しかしその「縛り方」は「国民の代表者に統制させる」ことを基本とすべきである。
要するに民主選挙を経た政治家に軍隊、警察を統制させるべきであり、またそれでほとんど足りる。そして現在の日本はそれを満たしている。軍隊、警察などはどうしても「秘密」を抱える必要があり、そうした組織は「組織外」からではなく責任ある政治家が「組織内」から統制せざるを得ない。
こうした「国民の代表者による権力の統制」は「権力を内から統制する」と表現できるだろう。
一方で護憲派は「権力を外から統制する」ことに著しい関心を寄せている。具体的にはデモなどの社会運動、国会における「抵抗野党」の積極的肯定である。
そしてこの「権力を外から統制する」の文脈で発展したのが現在の立憲主義論である。
国家を「悪魔化」し国家と国民の対立関係を異常なほど強調し、国家を立憲主義の名の下「縛る」ことを主張する。
護憲派の視界に我々が選出した「国民の代表者」の姿はない。安倍首相を支持する世論、自民党に投票した国民など護憲派の中では「国民」ではないのだ。
そして「悪魔」である国家を「縛る」主体はどういうわけか憲法学者、大学教授、ジャーナリスト、活動家の類なのだ。当然、彼・彼女らに民主的基盤はない。
最近、立憲民主党の山尾しおり氏が「立憲的改憲論」という憲法に関する著作を発表した。同著によると「立憲主義」を守るために彼女は憲法裁判所の設置を訴えている。
確かに憲法裁判所は採用している国はあるがこれらの国々の多くは大統領制を導入しており、要は憲法裁判所は行政権の権力が極端に強い国々で採用されているものである。
確かにドイツのように首相権力が強い国でも設置されているがドイツは第二次世界大戦の敗北により国土が焦土と化し法秩序が完全に崩壊したため、それをゼロベースから組み立て直すために設置されたに過ぎない。
現在「安倍一強」が指摘されているが例えば安倍首相がフランス大統領や韓国大統領ほどの権力があるとはとても思えない。そもそも「安倍一強」なる表現は批判を目的とした単なる「レッテル貼り」に過ぎない。
また同著で山尾氏は国会の各種委員会の委員長に民間の有識者をあてることも提案している。
このように「立憲主義を守る」「権力を縛る」の文脈で具体的に提案されていることは非民主勢力の国政関与である。言うまでもなく国民主権の侵害である。
護憲派は「立憲主義」を名目に非民主勢力の国政関与を肯定している。そしてこの非民主勢力の頂点に立つのは間違いなく憲法学者である。
かつて憲法法学者の長谷部恭男氏は法律家のサークルを「法律家共同体」を表現した。
「立憲主義」論の終着点は「法律家共同体」が三権を超越した形で日本を統治することである。そういう意味では巷で流行る「立憲主義」論は「法律家共同体」による権力の簒奪、国民主権の無力化を図る政治運動と評して良いだろう。
「イナゴ」としての日本型リベラル
自由民主党の杉田水脈氏が新潮45で「LGBT」について論じ、その文中で「生産性がない」と評したことについて波紋を呼んでいる。「LGBT対するヘイトスピーチである」といった具合でLGBT支援団体などが自民党本部前で抗議集会を開催し杉田氏の議員辞職すら求めている。
確かに「生産性がない」といった表現は適当とは思えないが文章全体を読めば杉田氏の趣旨がLGBTへの過剰な優遇措置への批判であり排除を意図したものではないことは明らかである。
もちろん適当ではない表現がある以上、その訂正は必要かもしれない。またLGBT支援団体が一定の抗議をするのもやむを得ないだろう。
要はこの問題の本質は杉田氏の表現力不足、もっと言えば知識不足であり知識がないならば氏に注入すれば良いだけである。
それはLGBT支援団体による書面の提出といった形で足りる。杉田氏の知識不足への対応は平和かつ穏健に対応できるものであり、何よりも与党議員がLGBTに対して正確な知識を持つことはLGBT当事者にとっても利益のはずである。
自民党のLGBT施策は支持できないが立憲民主党のLGBT施策は支持できるといった理屈はない。
問題はLGBT当事者に対し「あなたは差別されていますよ」とか「あなたは被害者ですよ」と言った言説を吹き込み対立・衝突を煽る勢力がいることである。それは言うまでもなく日本型リベラルである。
例えば自民党本部前での抗議集会に安保法制への国会前デモで名を馳せた元SEALDsの奥田愛基氏が参加したことが話題になった。
「あのSEALDsの奥田君も支援してくれる!」という反応は正しいのだろうか。正しいのは「何故SEALDsの奥田君がここいるのか」という反応ではないか。
元SEALDsの奥田氏の関心はあくまで安保法制に対してだけであってLGBT問題ではないはずである。
「弱者を守る」とか「ヘイトを許さない」といった理由で部外者(日本型リベラル)が問題に介入し実に安易に対立・衝突を煽り返って問題を複雑化させ解決を遠のかせている。
もちろんデモは国民の権利であるが過激化すれば無党派層の離反は招き逆に縮小してしまうし、また群集心理の作用次第ではともすれば暴徒化しかねない。
暴徒の攻撃先が政党本部ならばそれは我々国民の代表者を攻撃することを意味し、国民主権の侵害に他ならない。
日本型リベラルにとって「ヘイト」「弱者」「被害者」「抑圧者」と言った言葉は現実の「弱者」「被害者」に寄生するための手段である。
やや強い表現になるがこれら日本型リベラルは「イナゴ」のような存在である。
「弱者」「被害者」に寄生しそれを食いつぶし破綻させる。
具体的に言えば「弱者」「被害者」を決して自立させず「逆差別」を発生させる。
「逆差別」が成立すれば「弱者」「被害者」は無党派層から白眼視され社会から支援されるどころ逆に孤立し傷つく。
日本型リベラルは「弱者」「被害者」が社会から孤立し運動として限界が生じたらまた別の「弱者」「被害者」を探し寄生する。そしてまた食いつぶす。その繰り返しである。
これが日本型リベラルの正体であり杉田氏の言葉を借りればまさに「生産性がない」人々である。
日本型リベラルは「弱者」「被害者」を決して救わないし彼・彼女らを「駒」として使い社会の対立・衝突・分断を煽る勢力である。
日本型リベラルは「市民」を自称しまるで「国民の代理人」のごとく振舞うが、彼・彼女らの発言、振る舞いを見る限りとても「市民社会の内」に居るとは思えない。むしろ「市民社会の外」に居る存在である。
日本型リベラルの本質は正規の手続きでは市民社会に参加できない「脱落組」である。ジャーナリスト、大学教授は違うのではないかと思うかもしれないが日本のマスコミ・アカデミズムは競争原理が機能しない既得権益であり完全に腐敗しており、とても「市民社会の内」にいるとは思えない。やはり「市民社会の外」に位置し寄生しているだけである。
過激なデモに参加している者は控えめに言って長期不況の被害者なのだろうが少なくとも合わせる必要はない。
我々はこの「イナゴ」から身を守るための手段を真剣に議論しなくてはならない。
国家を超越した「リベラル」
日本のリベラルの特徴はリベラルな社会を建設することでなく「敵」を設定、攻撃することで自己正当化を図る勢力に過ぎないことは既に指摘した。
そして日本のリベラルがこのような存在になった原因として
・進歩主義
・責任ある立場を回避
・公開討論を避ける日本の議論文化
を挙げた。これら3つの要因が「三重奏」を弾き驚くような攻撃性をリベラルに付与している。
これらについてもう少し詳細に論じよう。「進歩主義」はその名称のとおり「進んだ思想」とか「正しい思想」であり元々「異論」に対しては厳しい態度を取る。
リベラルにとって「異論」は「遅れた」ものであり「進歩」とは「遅れ」を克服するものであるから厳しいのは当然である。進歩主義が異論を「敵」と判断するハードルは低い。
そこに「責任ある立場の回避」が加わる。
かつて日本社会党は国会議員の公認候補を絞り自ら政権獲得を拒否した。社会党は「万年野党」を選択し同党に近いマスコミ・学者は「ストッパー」とか「歯止め」としてこれを肯定的評価した。
政権獲得を拒否し「チェック役」としての立場を支持する考えは現在でも野党に根強く例えば日本共産党は国政選挙のキャッチフレーズに「確かな野党」を採用したほどである。「野党は与党に反対するもの」という考えは戦後日本に深く根付いていると言っても良く、それを根付かせたのが55年体制である。
一方で55年体制下の政党たる民社党委員長の西尾末広は「政権を取らない政党は鼠を取らない猫と同じだ」と評したとも言われる。
政党で言えば政権を取らない、知識人で言えば政治家にならないといった「責任ある立場を回避する」ということは結局、どういう結果を生むのかというと「理想と現実」の狭間に立たなくなるのである。ここでは進歩主義は「理想」であり非進歩主義は「現実」と置き換えればわかりやすいのではないか。
日本では「理想」と「現実」が対立関係にあるように論じられることが多い。
9条を支持する護憲派は改憲派から「お花畑」と揶揄され、逆に9条改正を支持する改憲派は文字通り「現実派」と表現されたが戦後日本の論壇では「現実派」は侮蔑表現だった。
しかし「理想と現実」は対立関係にあるわけではない。「理想」とは「現実」を克服していくことを通じて実現するのである。理想の実現には現実に一歩踏み出す勇気が必要がある。
だから護憲派は「9条の理想」を掲げ護憲の正当性を訴えるも、これは全世界の諸国が軍隊廃止を同意したとき実行すれば良いだけの話であり、それまでは国際標準の軍事理解、つまり軍隊とフルスペックの集団的自衛権の保持を通じて日本の平和を維持すれば良いだけの話である。9条改正は9条の理想を決して否定するものではない。
しかし前記したように日本のリベラルは「責任ある立場」を自ら拒否した。
「責任ある立場」になることは「理想」と「現実」の距離を縮め共通点や接点を探り理解を共有していくことであり「進歩主義=理想」を実現して行くことである。
「想像していたのと異なっていた」というのはよくある話だし、それは決して悪いことではない。「責任ある立場」になることでリベラルは自らが考える「理想」を「現実」にいる人間に対して説得する作業が求められるのである。
それは「三歩進んで二歩下がる」「あちらが立てばこちらが立たず」の世界であり求められるのは知識よりも忍耐力である。
ここではリベラルが自分の「理想」をどこまで本当に実現したいのかが問われる場面である。そしてなにより「責任ある立場」になることで他人を説得する技術が身につくのである。
そういう意味では「責任ある立場を回避する」という日本のリベラルの姿勢は致命的とも言える。実際、リベラルに対する非難の多くはその内容よりも振る舞いではないだろうか。
そして最後に日本の議論文化が加わる。日本は公の場で議論することを避ける風潮があり「打ち合わせ」と称した「会議前会議」が意思決定することが多い。有名なのは国会で国会議員による内閣に対する質問は事前に「質問主意書」に書くことが求められ、その内容に応じて内閣が回答、つまり国会答弁する。
つまり政府は事前に何を質問されるのか知っているのだ。そこに「真剣勝負」はなくだから国会論戦は一種の「儀式」となる。「公開討論の儀式化」が日本の議論文化であり、そこに事実上「討論」はない。
誤解のないように強調すれば「公開討論の儀式化」は必ずしも悪いことではない。
事前に相手の意見を聞くことでその意見について密な検証を経て相手方に回答できるし、また質問者も丁寧な回答を否定することはないと思われる。
一方でこのような議論はそれこそ国会のような賛成・反対派が同じ空間に存在することで成立するものあって一般社会ではそれほどではない。公開討論の習慣がない日本の議論文化では「異論」を持つ他者を説得することよりも仲間・友人との同調が優先される。
そのため「異論」との交流は深まらず、当然、接点も持たずやがて「敵」となる。また自説も偏り最悪「カルト」化し、それが更に「異論」をより高度な「敵」と認定させる。
「異論」は説得の対象であり共通点を探り距離を縮める対象であるが「敵」は打倒・殲滅の対象であり相違点を探り異質性を確認し、攻撃するのである。
以上の「三重奏」が日本のリベラルの攻撃性を高めついにはそれを目的化させるのである。
特に二つ目に挙げた「責任ある立場からの回避」は極めて重い。日本では行政側に政策情報が集中している。例えば外交・安全保障情報は秘密情報が多いことは容易に想像できる。
しかしリベラルは政策情報に触れないので自らが考える「理想」がますます現実離れのものとなり、他人を説得する能力も身につかないから攻撃性を加速させる。
控えめに言ってこうしたリベラルは自らが少数派であることを自覚している。
戦後、左翼・リベラルは基本的に与党になることはなく、なったとしてもそれは例外で当然、政権担当能力もない。だから無視、放置しても構わないのではないかという意見もあるだろう。
しかしリベラルは自分達が少数派であることは自覚している。だからこそ彼らは首相官邸・国会といった政府中枢を攻撃するのである。「多数派の中枢を攻撃する」ことがリベラルの基本戦術である。
また少数派と言っても人間を一箇所に集中させれば小さくない「力」を発揮する。
首相官邸・国会前デモはこの文脈で実施される。国内では支持者を調達することに限界があるので外国人活動家の動員も厭わない。最近、行われた国会前デモを見る限りデモの主力は老人であり、「活力」があるとは言い難い。こうした力不足を埋めるために外国人活動家が動員されるのである。
またリベラルが少数派と言っても政治家はもちろん社会的地位の高い者は政府・与党を除けば基本的に「強者」である。
例え野党であっても国会議員、地方議員の地位にある以上、その存在感は大きく彼らの活動を制止することは不可能ではないが、そのために多大な労力が割かれる。
例えば北朝鮮による拉致問題では日本社会党がその存在を否定したことはよく知られているが、最大野党が拉致問題の存在を否定したことで同党と友好関係にあった朝鮮総連への捜査を警察に躊躇させた可能性が高い。
社会的影響力のあるリベラルは日本国内に「治外法権」を出現させ、そこが外国勢力の日本攻撃の出撃拠点となり我々日本人の平和を脅かすのである。
そしてリベラルが野党であることを自己選択したことの最大の弊害は国家と憲法の関係の議論をおかしな方向に導いたことである。
日本のリベラルは例外なく護憲派である。そしてリベラルは憲法を論ずるにあたって「立憲主義」の名の下「憲法は国家権力を制限するものだ」ということを殊更、強調する。
リベラルの中で「国家権力=悪」であり、それを制限するために憲法はあるのだと主張する。しかし現在の日本の国家権力は民主的選挙を経て成立するものであり「民主政府」と呼ぶこともできる。
もちろん議院内閣制である以上、完全に民意を反映したものではないし、現在の安倍首相はいわゆる「世襲議員」であり「庶民感覚」があるという印象もないが、そうだとしても選挙で当選して国会議員となり内閣総理大臣に選出された人物である。
確かに日本の選挙は「一票の格差」と言った小さくない問題はあるがそうだとして選挙を経て内閣が組織される以上、日本の「国家権力」は「民主政府」である。
もちろんこの「民主政府」には民主的基盤のない官僚も含まれているが、リベラルが特段、官僚に焦点を当てている印象もない。
そしてこの「民主政府」は国家権力である以上、国家としての役割がある。近代国家生成の歴史を顧みれば国家はまさに「暴力装置」であり、軍隊・警察といった武力機関を有する。
そしてこれらの「暴力装置」に最も期待されていることは国家を構成する国民を守ることである。現在、日本に欠けているのはこの「暴力装置」たる国家の役割が不十分ではないかということであり、憲法9条の解釈変更もしくは改正もこの文脈にあるに他ならない。
論を戻そう。リベラルが主張する「憲法は国家権力を制限するものだ」という表現は「憲法は民主政府を制限するものだ」と置き換えることもできる。
そしてこの野党と言う「外野席」から憲法を通じて国家権力を制限するという思考が重要である。日本のリベラルは国家権力の一員になることを拒否している。そして自らの「理想」をインフレ化させますます現実から乖離し「憲法は国家権力を制限するものだ」というフレーズと連動して最終的にはリベラルは国家を超越するのである。
そしてここにリベラルの「多数派の中枢を攻撃する」という戦術が加わる。
現在の国家権力を担うのは「民主政府」であり「民主政府」は多数派であることは論をまたない。要するにリベラルは「立憲主義を守る」とか「9条を守る」を根拠に「民主政府」の中枢を攻撃するのである。
首相官邸・国会前デモ、首相への個人攻撃を通じて国家権力の中枢を攻撃することで国家を麻痺させ最終的には国家権力を自らの統制下に置く。
論を整理するならば日本のリベラルは「国家」を悪魔化し自己正当化を図るとともに「国家」の中枢を攻撃することで「国家」を自らの統制下に置き「国家」を超越した権力になることを目指しているのである。
国家を完全に「破壊」するのではなく「麻痺」させるというのがポイントである。
国家を「破壊」してしまえばリベラル自らが「国家」の代わりを務めなくてはならなくなるがそれはリベラルの力量を超えた話である。だから「麻痺」させ統制下に置くのである。
下種な例えではあるがヒモ男が女性に「君を悪いやつから守りたいから僕を家に置いてくれ」というのと同じである。
こうしたリベラルの政治戦略は「外野席から与党になる」になるとでも言おうか。
いずれにしろ彼らは思考の中では国家を超越しているし、だからこそ「日本」さえも攻撃対象となる。リベラルは時折、保守派から「反日」とか「売国奴」とか罵られることがあるけれどそれは正確ではない。彼らに何か強力な主義・主張があるわけではない。
要するに「立憲主義」とか「護憲」を根拠に権力を握りたい、他人より優位に立ちたいだけなのである。
そしておそらくこういう勢力は戦前にもいたと思われる。それは「国体護持」を訴える観念右翼だろう。要するに戦後のリベラルと戦前の右翼は「思想」は異なるが「思考」は同じなのである。
論を戻そう。そしてこのリベラルの憲法・国家観で最も利益を得る主体が憲法学者である。もちろん憲法学者に民主的基盤はない。リベラルが目指す日本とは日本国憲法を「聖典」する憲法学者を頂点とする「宗教国家」である。
そこでは「民主主義」とか「国民主権」という言葉は意味のない記号に過ぎなくなる。
赤報隊事件の被害者は「ジャーナリスト」の基準に達していたか
昨年以来、世間では様々な「ジャーナリスト」が話題になっている。最も有名なのは東京新聞所属の望月 衣塑子氏だろう。
昨年、8月末に北朝鮮の弾道ミサイルが日本上空を通過した際に彼女は菅官房長官に対し「日韓合同軍事演習を続けていることが金委員長のICBM発射を促している。ある程度、金委員長側の要求に応えるような働きかけはしないのか?」と質問した。
北朝鮮の意見を代弁することでどうして同国の行動を抑制することができるのだろうか。北朝鮮情勢は現在、南北首脳会談が開催され表面上、北朝鮮は軟化したが先行きは不透明である。
この北朝鮮の変化は日米の経済制裁に同国が屈服したとも様々な解釈があるが実情はわからない。ただ北朝鮮の主張を取り入れたから軟化したとは考えにくい。
常識的に考えて恫喝国の恫喝を受け入れれば更なる恫喝を招くと考えるのは自然である。望月氏の質問はとても日本の平和に資しているとは思えない。
続いて「エビデンス? ねーよそんなもん」と発言した朝日新聞編集委員の高橋純子である。もっともこれは彼女へのインタビュー記事の表題でこの表現は氏の著作「仕方ない帝国」から引用である。
高橋氏の「エビデンス? ねーよそんなもん」はインタビューの表題に過ぎなかったが、しかしそのインタビューも全て安倍政権の批判というより単なる悪口である。この言葉が収録された「仕方ない帝国」も内容もどうでも良いものばかりである。同著は「コラム」という体裁を採っていることから仮に批判を受けた場合、「あれはただのコラムです。記事ではありません」という予防線を張っているのが透けて見える。
最近では財務省福田事務次官によるセクハラで話題になった「テレビ朝日女性記者」も挙げられるが、彼女はセクハラ被害を所属するテレビ朝日の女性上司に報告したが、これが無視、放置され結局、福田事務次官の録音音声を週刊誌に提供したという。
もっともこの録音音声は「編集」されたものであり、実際はわからない。そしてこの女性記者は事実上、セクハラ被害を勤務先から強要されたわけだが、このことはテレビ朝日の人権感覚が疑われるとともに、一方でこの女性記者がそもそも「ジャーナリスト」の基準に達していなかったという推測も成立する。
「あの娘は所詮、その程度の存在」というやつである。
偶然だろうが昨年から現在に至るまで話題になった記者は全て女性である。そして彼女達が話題になったのもジャーナリストとして「良い質問をした、良い記事を書いた」というものではない。
望月氏の質問は冗長で要点がまとめられておらず決して上手いとは言えない、いや、はっきり言って下手な部類である。
彼女の著作「新聞記者」の帯文も「大きな声で、わかるまで私にできることは問い続けること」と書かれている。意地悪な人間なら「自分の知識不足を大きな声で誤魔化しているだけではないか」と言うかもしれない。
また高橋氏が朝日新聞上でコラムを連載しているが内容は「だまってトイレをつまらせろ」とか「「こんな人たち」に丁寧始めました」とかこんなのばかりである。本人は「おもしろい毒舌」を述べているつもりだろうか。
更にセクハラ被害を受けたとされる「テレビ朝日女性記者」は確かにセクハラにあったかもしれないが、一部では彼女は福田事務次官とのやりとりで「女性的挑発」を行ったとも指摘されている。これが事実ならばとてもジャーナリストの対応とは言えない。
新聞、テレビに所属するジャーナリストはよく「ジャーナリストは権力を監視するのが使命だ」と言う。職業意識が高いことは結構なことだがではジャーナリズムの権力監視能力は誰が保障するのだろうか。
「ジャーナリストは頭が良い」などと今の時代どこまで通用するのだろうか。この表現は過去のものであると言わざるを得ないし、過去にそう言われたのも意地悪な人間ならばマスコミが情報発信手段を独占していただけと言うかもしれない。
論を戻すならば日本のジャーナリズムの権力監視能力を保障するものはない。通常、人間の能力を客観的に評価する手段としては「試験」が利用される。
しかしジャーナリズムの権力監視能力を審査するために「国家試験」のようなものを導入することは甚だ現実的ではない。「国家試験」はそれこそ政府の介入を招きかねない。だから「試験」によるジャーナリズムの権力監視能力の審査は不可能である。
「試験」ではジャーナリズムの権力監視能力は保障できない。とするとやはり「競争」しかない。新聞、テレビなどのマスコミ間の競争、要するに知識・情報面での競争を活発化させることでジャーナリズムの権力監視能力を保障するのである。
この文脈で言えば独占禁止法の適用を除外する新聞社への優遇措置はもちろん、少し前に話題になった放送業界への新規参入規制を緩和する放送法改正は積極的に推進すべきだが既存のマスコミはこれに強く反対した。
国民が触れる情報量が増大することが社会に不利益をもたらすという思考は独裁者のそれと同じであり、とてもジャーナリズムの思考とは言えない。
要するに日本のジャーナリズムは根拠もなく自らは権力監視能力があると思っているのである。
前記した望月、高橋等のジャーナリストの発言、振る舞いを見てもとても「権力監視能力」を有しているとは思えない。
彼女らにとって「ジャーナリストは権力を監視するのが使命だ」という表現は自分の能力不足を誤魔化す「言い訳」だろう。
「なんだかよくわからないが権力者を困らせているから良いではないか」の次元である。もちろんこれは権力を監視したことにならない。
現在の新聞、テレビは完全なる保護産業であり、そのことが権力監視能力に強い疑義を持たせている。新聞、テレビは権力を監視することが使命だと言うならば各種優遇措置を辞退するか、もっと言えばその廃止を主張すべきだろう。
言うまでもなく競争原理の徹底がジャーナリズムの権力監視能力を保障するのである。もちろん各種優遇措置が撤廃されてマスコミ間の競争が徹底されれば既存の少なくないマスコミ人が減給と失業のリスクに晒される。しかしそれはそれでやむを得ない。
世界のジャーナリストでは文字通り命をかけて取材している者もいる。それと比較したら減給と失業のリスクなど大した話ではない。受け入れるリスクである。ジャーナリストの数が減少しても「質」が向上すればそれで良い話だけである。100人の望月 衣塑子より1人の立花隆である。
さて、ここまでジャーナリズムの権力監視能力の保障を妨げるものとしてマスコミへの各種優遇措置の撤廃を提言したが。これらの優遇措置は昔からあった。
だから昔のジャーナリストの権力監視能力もどの程度のものだったのか疑わしいと言わざるを得ない。
この観点から言えば朝日新聞阪神支局が襲撃されたいわゆる「赤報隊事件」で犠牲になった新聞記者達は本当にジャーナリズムの基準に達していた疑わしい。
筆者は言論に対しる暴力には強く反対する立場である。一方で最近のジャーナリストの言動、振る舞いを見るとどうしてもこの事件の被害者の「権力監視能力」に関心を持ってしまう。
この事件の被害者でよく話題に上るのが小尻記者であり、もちろん彼は朝日新聞所属の「新聞記者」であるが、ジャーナリストとしての能力については特に示されていない。「新聞記者」の肩書があるからと言って、その人物が新聞記者の水準に達しているかは別次元の話である。仮に亡くなった小尻記者が望月 衣塑子レベルの知的水準の持ち主ならばこの「赤報隊事件」の評価も抜本的に改めなくてはならない。
悲しい殺人事件だったが少なくとも「言論へのテロ」とは評価できない。もちろんこれは仮定の話である。
繰り返しになるが筆者は言論に対する暴力には強く反対する立場である。
しかしジャーナリズムの権力監視能力を保障するものがないならば「赤報隊事件」の
被害者の権力監視能力に関心を持っても良いだろう。
そしてこのことからは朝日新聞は赤報隊事件の被害者の知的水準を評価したものを可能な限り公開すべきである。
「こんな人たち」列伝~白井聡の場合~その3
白井聡が示した「戦後日本の核心」と評される「永続敗戦論」であるが今回はこれについて更に進んで検証したい。
白井は戦後日本の特徴を「対米従属」と定義し、その根底には「欧米人に対するコンプレックス(劣等感)とアジア諸民族に対するレイシズム」があると評価する。
かつて「鬼畜米英」とまで罵った相手に「従属」する姿が白井から言わせればまさに「奴隷」であり論外に他ならない。そしてこの構造を作り上げたのが「戦後保守」であり、それは「戦前の指導者層」の継続だと評価する。「戦前の指導者層」が継続した事実は裏返して言えば「戦争責任」の追及の不徹底であり、これこそが中国、韓国との歴史認識問題を紛議させており、それは「敗戦の否認」に他ならないと言う。
筆者が気になるのは白井が指摘する「戦後保守」の母体とも言える「戦前の指導者層」についてである。白井は実にナチュラルに「戦前の指導者層」と表現するが当然、「戦前の指導者層とは何か」という疑問が沸く。
白井は「戦争責任」の追及の不徹底を問題にしているから、これを素直に解釈すれば白井が言う「戦前の指導者層」とは「対米開戦」を決定した「指導者層」であり、それは東条英機内閣ということになる。
大日本帝国は東條内閣期においてアメリカからいわゆる「ハル・ノート」を突きつけられ、それを受けて対米開戦を決定した。結果は誰もが知るとおり壊滅的敗北を喫し310万人を超す死亡者を出しアメリカに占領され憲法まで変えられた。
そして「対米開戦」を決定した東條内閣の閣僚は連合国に拘束され東條を始めとする有力者は「極東国際軍事裁判」、いわゆる「東京裁判」に基づき死刑を含む厳罰が処された。これは連合国による「政治裁判」に他ならない。
そしてこの「東京裁判」の被告は占領終了後、衆議院議院決議で「赦免」されたことはよく知られているし、一方で世論は「東京裁判」を冷静に受け止めていたこともよく知られている。
「対米開戦」に限れば「戦争責任」はそれは連合国の手によるものだが追及されたと言えるし、もう少し視野を広げて見れば近衛文麿のように日中戦争の拡大を煽った政治家も自殺し、これは常識的に考えれば連合国・世論が近衛を「追い込んだ」と考えるべきだろう。
もっとも、満州事変を引き起こした石原莞爾の責任が追及されていないことは気になるが、石原も戦後、間もなく死亡した。
そして「戦争責任」で最も話題に上がるのは昭和天皇である。連合国の視点からすれば昭和天皇は「対米開戦」を「裁可」した存在であり、「トップダウン」の意思決定が通常である欧米の価値観で言えば確かに昭和天皇は「戦争責任」はあったのかもしれない。
しかし日本は「ボトムアップ」を基本とする意思決定システムを採用している。
だから昭和天皇が「対米開戦」を「裁可」したとは言え単純に「戦争責任」があるとは言い切れないし、何よりも昭和天皇の「戦争責任」が追及され、例えば「厳刑」に処された場合、その反響は測り知れなく戦後日本は著しい混乱を迎えていたに違いない。
だから昭和天皇の「戦争責任」を追及しないことは一種の「政治判断」であるし、そもそも「戦争責任」の追及もそれが連合国の手によるものならば全て「政治判断」である。
もっと言えば各国を超越した「世界政府」というものが存在しない限り「戦争責任」は常に「政治判断」であり、客観性はないと言っても良いだろう。
実際、「戦争責任」の追及の日本人自らの手で行った場合は「死刑」が選択されたか疑わしい。控えめに言って白井は昭和天皇の「戦争責任」は問題にしていないようである。
この「戦争責任」で白井がこだわっている人物は岸信介である。岸は東條内閣期に商工大臣に就任しており、「対米開戦」の詔書にも署名した。
白井は岸の存在を持ってして、もっと言えば東京裁判への不起訴、戦後、首相に就任したことを挙げて「戦前の指導者層」が継続したと主張する。
確かに岸の東京裁判への不起訴については諸説あるし、戦後、岸はCIAから巨額の資金援助を受け、それを原資に自由民主党を結党したと言われているが実情はよくわかっていない。
白井は「軍人指導者は政治から排除され、最も高位を占めていた指導者たちは罰を受けました。政官財学メディアの各領域で、あの無謀な戦争を突き進むことに加担した人たちが、一時は公職追放処分などを受けたものの、紆余曲折を経ながら日の当たる場所へと続々と復帰していったのです」と評する。
そして「あの無謀な戦争を突き進むことに加担した人」の具体例として岸信介を挙げているが、実は具体例はこの岸だけである。
しかしどうだろうか。白井は「戦前指導者層がそのまま戦後も支配層に留まり続けました」と大層な表現を使うわりには白井が挙げた具体的な人物は岸信介ただ一人だけである。人数としては驚くほど少ない。また岸信介の評価も一面的である。
確かに岸は東條内閣の閣僚を務めたから「戦前の指導者層の一員」と言えるが、特に「戦前の指導者層」とやらを代表していたわけではない。
岸信介という人物を触れるにあたって幾つかエピソードを紹介すると岸は東大を上位クラスで卒業し農商務省に入省した。当時の東大エリートでは上位卒業者は大蔵省か内務省に入省するのが「常識」で岸の決断は知的エリートの中ではちょっとした話題になった。
そして岸の官僚としての名声を挙げたのが官僚としての業務ではなく浜口雄幸内閣より提案された役人の減給案への反対運動に参加してからである。役人の地位は現在と比べて大きく異なると思うが「反対運動」などなかなかできるものではない。このエピソードで窺えるのは岸の「政治家」としての資質だろう。
論を戻そう。官僚としての岸の名声を揺るぎないものにしたのは満州国への赴任である。岸は満州国総務次長の立場で同国の開発に辣腕を奮った。満州国は岸が事実上の支配者だった言っても過言ではない。
そして名声を浴びた岸は東條内閣に入閣した。当初は商工大臣であり、途中、商工省が改組され軍需省次官に降格されたが無任所の国務大臣を兼任したことから岸が事実上の軍需大臣だったと言っても良い。
このように岸は「戦前の指導者層の一員」として立身出世の階段を登っていたが、その途中、東條内閣は瓦解した。東条内閣の瓦解の減員はサイパン島陥落が挙げられるが、一方で東条からの閣僚辞任要求を岸信介が拒否したことも併せて挙げられる。
大日本帝国では首相に国務大臣の罷免権がなかったことを考えれば岸が東條内閣を瓦解させたと言っても良い。白井の中で東條内閣瓦解における岸はどのように評価されているのだろうか。
岸は「戦前の指導者層の一員」であったがその「戦前の指導者層」を瓦解させた人間でもあった。多少、歴史に関心がある者ならば白井が述べる「戦前の指導者層」という表現に違和感を覚えるのではないだろうか。大日本帝国に「戦前の指導者層」と呼べるほど強固なものはあっただろうか。大日本帝国ではよく首相が交代した。これは大日本帝国では前記したとおり首相は国務大臣への罷免権がなく「同輩中の首席」に過ぎなかったからである。また「指導者」という表現を使うとやはり「個人」を想起してしまい、それは大日本帝国の意思決定システムの考究に繋がらない。大日本帝国の意思決定を論ずるには「個人」ではなく「組織」が適当である。ではその「組織」はどうであったか。
確かに陸海軍は強大であったが一方で内務省、大蔵省の強大さもよく指摘される。大蔵省は予算編成権を背景に陸海軍からも一目置かれた。
もちろん「対米開戦」に至るまでその存在感を示したのが陸海軍であるが、その陸海軍は互いに仲が悪く、陸海軍内部でも陸軍は陸軍省-参謀本部、海軍は海軍省-軍令部といった具合で対立していた。
白井が述べる「戦前の指導者層」の意思は常に分裂しまとまることもなく決定を先送りし続けていたらそのまま「対米開戦」に突入してしまったのである。
常時分裂していた「戦前の指導者層」が一致結束したのはアメリカから「ハル・ノート」を突きつけてからという次元でありだからこそ敗戦した。
そしてGHQにより「戦前の指導者層」を抱えていた陸海軍はもちろん内務省も解体され「有力官庁」で生き残ったのは大蔵省だけだったと言われる。
要するに敗戦の結果「戦前の指導者層」は解体したのである。
だから岸信介の存在を持ってして「戦前の指導者層の継続」を主張するのはかなり無理がある。例えば白井の中で吉田茂はどのような位置づけになっているのであろうか。
吉田は外交官であったが「対米開戦」に反対し戦時中は逮捕、勾留の憂き目にあった。このことから吉田は「戦前の指導者層」に含まれず、それどころか「戦前の指導者層」に抗した人物である。戦後、吉田は首相となり「永続敗戦論」の基礎をなす日米安全保障条約を締結した政治家である。
「戦前の指導者層」に含まれない吉田茂が日米安保を確立した事実は「永続敗戦論」の根本を否定するものではないか。
また吉田と同じく戦後、首相となった石橋湛山はどうだろうか。石橋は在野のジャーナリスト出身であり、もちろん「戦前の指導者層」に含まれない。
論を整理するなら「戦前の指導者層」は敗戦の結果、解体し同指導者層に抗した人物が戦後、台頭した。岸は言うなれば「戦前の指導者層」の残存勢力であるが、そうだとしても戦前の影響力のそのまま継続し戦後、政治家として大成したわけではない。
戦後の岸の政治的台頭は純粋に岸個人の卓越性によるものだろう。だからこそ岸はアメリカから評価され、また対立者から恐れられたのである。もっと言えば一般大衆も岸を恐れた。岸への恐怖が1960年の安保闘争を引き起こしたである。
要するに白井が問題視している「戦前の指導者層」は継続して戦後日本に存在したわけではないし、このことは白井が示した「永続敗戦論」が誤りだったことを意味する。
戦後の日本人は良い意味では「欧米人に対するコンプレックス(劣等感)」を持ち、それが経済成長を実現し、その「成長の果実」を経済援助として中国、韓国を始めとしたアジア諸国に投資し、その結果、これらの諸国の経済成長を実現した。仮に戦後日本が「アジア諸民族に対するレイシズム」とやらがあれば経済援助などしなかったはずである。
結論から言えば白井聡が示した「永続敗戦論」は幻想である。
そんなものは存在しない。存在するのは白井の頭の中だけである。