保守の視点

「保守の視点」から政治・歴史を語る

「キャラ」が求められる新聞記者

 昨年、話題になった新聞記者は間違いなく東京新聞所属の望月衣塑子氏だろう。

彼女の菅官房長官とのやり取りは現在でも注目を集めている。続いて「エビデンス? ねーよそんなもん」と記した朝日新聞編集委員高橋純子である。もっともこれは彼女へのインタビューの際に質問者が書いた地の文であり、この表現は氏の著作「仕方ない帝国」から引用である。

 昨年、北朝鮮弾道ミサイルが日本上空を通過した際に望月氏は菅官房長官に対し「日韓合同軍事演習を続けていることが金委員長のICBM発射を促している。ある程度、金委員長側の要求に応えるような働きかけはしないのか?」と質問した。

 北朝鮮から見て彼女の質問はどう映るだろうか。自らの弾道ミサイル発射に合わせて自らの主張を代弁してくれる。北朝鮮からして見れば望月氏の存在は実にありがたい存在であることに間違いない。

 そして武力恫喝で相手が自らの主張を受け入れてくれるなら武力恫喝を止めることはない。望月氏の主張は北朝鮮による「第2、第3」の弾道ミサイル発射をただしたに等しく、とても日本の平和に貢献しているとは思えない。要するに彼女はそんなこともわからないのだ。

 高橋氏の「エビデンス? ねーよそんなもん」は質問者が書いた地の文に過ぎなかったが、しかしそのインタビューでの彼女の発言も全て安倍政権の批判というより単なる悪口である。

 この言葉が収録された「仕方ない帝国」も内容もどうでも良いものばかりである。同著は「コラム」という体裁を採っていることから仮に批判を受けた場合「これはただのコラムです。記事ではありません」という予防線を張っているのが透けて見える。

 「優れた新聞記者とは何か」と問えばその答えは様々だろうがあえて言えば「良い質問をした、良い記事を書いた」記者だろう。

 望月氏の質問は冗長で要点がまとめられておらず決して上手いとは言えない、いや、はっきり言って下手な部類である。

 彼女の質問内容を見ても話題が飛ぶことが多く、もしかしたら週刊誌の目次欄を見て思いつきで質問しているのではないかと勘繰ってしまう。彼女の著作「新聞記者」の帯文も「大きな声で、わかるまで私にできることは問い続けること」と書かれている。

 意地悪な人間なら「自分の知識不足を大きな声で誤魔化しているだけではないか」と言うかもしれない。

 また高橋氏は現在でも朝日新聞上でコラムを連載しているが内容は「だまってトイレをつまらせろ」とか「「こんな人たち」に丁寧始めました」とかこんなのばかりである。本人は「おもしろい毒舌」を述べているつもりなのか。

  これら望月、高橋両者の発言を見て思うのはこの二人は「良い質問をした、良い記事を書いた」ことで評価されているのはなく「キャラクター」で評価されているということである。

  例えば昨年、望月氏が話題になった時、ネット上では彼女を「反日」とか「極左」と評する声が多かった。もちろん筆者もそう感じたが、それ以上に「奇人・変人」という印象の方が強かった。どんな組織でも一人、二人は「奇人・変人」はいるものだし新聞社のように大きな組織なら尚更だろう。仮に彼女と正面から話し合ったとして一方的に捲し立てられとてもこちらの話は聞いてくれそうもない。

 問題なのは「奇人・変人」に過ぎない望月氏がどういうわけマスコミ業界からは「凄い記者」と持ち上げられたことである。仮に筆者が新聞記者ならば望月氏には「頼むから変な質問しないでくれ。俺達の職業が誤解される」と言うだろう。

 もちろん反安倍のマスコミからすれば彼女を菅官房長官にけしかけることで、もっと言えば挑発することで菅官房長官の「歪んだ表情」を映し、それを世間に放映することで安倍政権への支持を失わせようという魂胆があるのかもしれない。いずれにしろ新聞記者、ジャーナリズムの仕事とは言えない。

 そしてこれは新聞業界が記者を「キャラクター」で評価しているから起きている現象と言えよう。

 奇しくも両者とも女性である。日本では「男女平等」が唱えられ随分と経ち、もはやこれを否定する勢力は出てこないだろう。そして「男女平等」とは実際には「女性の権利」を向上させる思想・運動であり、基本的にはそれは良いことである。

 新聞業界が「男女平等」を否定していると思わないが、同業界では性別で記者を評価しない代わり「声量」や「おもしろくない毒舌」で評価しているのだろうか。

 東京・朝日新聞では採用面接時に女性志望者に対して「うちは性別は問題にしない、求めているのは声の大きさだ」とか「この場で何かおもしろいこと言ってみてよ」とかそんな次元で採用審査をしているかもしれない。もちろんこれは冗談であるが。

 新聞記者に求められている能力は「キャラクター」ではなく情報の収集、精査、表現力に他ならない。望月、高橋の両者が新聞記者を名乗れてあまつさえ「凄い記者」と評価されている現状が新聞業界の最大の問題点だろう。

 そして新聞業界で「キャラクター」が評価されている最大の理由は新聞業界が徹頭徹尾、保護されている業界、要するに「既得権益」だからである。

 既得権益だから競争原理が働かない、外部チェックも働かない。こういう世界ではまともな人事基準はない。だから「キャラクター」が人事基準になってしまうのである。  

 要するに新聞業界は腐敗しているのである。少し視野を広げれば放送局もこれに含めて良いだろう。要するに日本のマスコミ業界は腐敗しているのである。マスコミの力はネットの誕生により一時期に比べ相当に衰えたのは間違いない。それでも高齢層の読者、視聴者のマスコミへの信頼感は高いと思われる。

  最近の森友・加計問題でもマスコミは積極的に政治に介入している。その姿勢は

 事実を報ずるのではなく事実を作ろうとしているものだ。

  現在の日本では容易には解決できない様々な課題があるが、それを冷静に議論し合意形成し少しづつでも良いから解決に向けて動かなくてならないが、その障害としてマスコミが挙げられる。日本の正常化に向けての第一歩はマスコミの正常化である。

 その具体的な手法は新聞、放送局への優遇措置を外資規制を除き全て撤廃し新規参入をただし競争原理を徹底することだろう。