保守の視点

「保守の視点」から政治・歴史を語る

「社会主義」が原動力だった昭和の大日本帝国

  日本の政治文化の特徴として「権力の分立」が挙げられ、それは大日本帝国時代においても確認される。内閣総理大臣は「同輩中の首席」に過ぎず、各国務大臣は個別責任だった。またその責任も天皇に対して負うだけだった。

 日本国憲法では内閣総理大臣国務大臣への任免権が付与されたが、その行使は基本的には政局絡みであったし官僚の人事には基本的に関与せず、するようになったのも2014年に内閣人事局が設置されてからである。
 しかし内閣人事局への批判は財務省を中心に多く、安倍政権終了後、その運用面で政治主導が発揮できるか疑わしい。
 大日本帝国は権力の分立が憲法次元で保障されていた。もちろんそうなると権力の中心核がなくなり意見集約ができなくなるが、それは明治維新の功労者たる「元老」が補った。 
 その元老も複数存在し、この事実は権力分立を是とする日本の政治文化の根深さを物語る。
 元老が中心核となり意見集約を進めていたわけだが、当然、その元老もいずれ鬼籍に入る。そして元老の代表格である山縣有朋存命時に政党内閣たる原敬内閣が成立するなど「元老後」は政党が政治の中心核となり意見集約を期待された。

 政党は「原暗殺」など紆余曲折を経ながら基本的にその勢力を拡大し最終的には政党政治は政友会・民政党の2大政党が担った。
 しかし政友会・民政党の両党はお互いの政策を競いあう「正の競争」ではなく汚職・失言など相手の誤りを攻撃する「負の競争」に終始したため世論の離反を招いた。
 また政党政治の制度的基盤が弱かった。「憲政の常道」とは慣習・慣例であり確固たるものではなかった。それでも政党は政治勢力として有力だったが中心核には成り得ず満州事変を機に陸軍が台頭した。
 1930年代の陸軍の政治的台頭として「統帥権の独立」「軍部大臣現役武官制」などの制度的優越が挙げられるが参謀本部が内閣から独立していたからと言って直ちに優越するとは限らない。
 また内閣の一員たる陸軍大臣参謀本部を含む全陸軍人の人事権を持っていたし議会は予算を通じて参謀本部を掣肘することもできた。

 つまり制度上は内閣・議会は陸軍を掣肘できるだけの権限を持っていた。しかしそれができなかった。要するに問題は運用にあった。
 陸軍の台頭で興味深いのは永田鉄山を中心とした昭和陸軍は「総力戦」に対応するため単なる軍備充実に限らず「国家改造」すらも提案した。
 永田が発刊した陸軍パンフレットたる「国防の本義と其強化の提唱」では「国家改造」の必要性を説き、その中には「農業漁村の更生」が提唱されている。

 これは現在で言えば自衛隊が「農業の自由化」について政策提言しているようなものであり、陸軍パンフレットがどれほど異例なものなのか想像できるのではないか。
 軍隊が「平時」に求められることは基本的に訓練・装備開発・作戦研究であり、政治との接点は大体において議会答弁・予算編成である。

 だから「国家改造」は政治介入に他ならないが陸軍は「総力戦」を理由にこれを正当化した。「総力戦」とは一国が有する「ヒト・モノ・カネ」の全資源を動員しその戦力化を図るものである。全資源の動員を図る大前提として中央政府による各種調査に基づく統計整備、民間資源と軍事資源の共通化がある。
 「民」と「軍」の境界をなくし中央政府が国内の全資源を管理するのである。

 既視感がないだろうか。「中央政府による国内の全資源の管理」とは社会主義の特徴である。

 要するに総力戦体制と社会主義体制はその機能面では一致するのである。
 そして陸軍が台頭した1930年代は1929年の世界大恐慌の反動もあり「資本主義の没落」が知識層に意識された。

 大日本帝国は皇室打倒を含む「革命」を強く警戒していた、しかし「社会主義」については必ずしもそうではなかった。
 商工官僚だった岸信介ソ連の第一次五か年計画策定の報を聞いて「私はあの計画を初めて知った時には、ある程度のショックを受けましたね」と述べたことはよく知られている。

 社会主義とは理念上は「平等」が実現された社会である。問題はその達成手段が「革命」とか「計画経済」であることである。
 陸軍が総力戦体制の確立を追求するなか社会主義と同様の「国家改造」に到達したことはなんら不思議ではない。だから陸軍が提唱した「国家改造」「高度国防国家」とは事実上、「日本の社会主義化」と言っても過言ではない。
 注意しなくてはならないのはここで安易に「コミンテルンの陰謀」云々を唱えるのではなく「権力分立」が是とされた大日本帝国で「国家改造」「高度国防国家」といった社会主義を含意するスローガンを基軸に意見集約が進んだのである。

 その旗振り役はもちろん陸軍であり他の政治勢力と比べて突出した勢力であったが「独裁」は敷けなかった。
 権力分立の世界では「スローガン」は全体を動かす「力」になる。「原動力」と言っても良い。問題は諸勢力間の課題が解消されないまま全体が動くので矛盾が解消されないまま、ただただ全体が前に進むのである。
 1930年代の陸軍は「総力戦」という「大きな戦争」に対応するために「中国大陸に有る軍事資源確保を目的に出兵する」とか「治安維持活動の範囲内だから問題ない」といった具合に「小さな戦争」を肯定した。結果的にその「小さな戦争(=満州事変・盧溝橋事件)」が「大きな戦争(=アジア・太平洋戦争)を招いてしまった。
 「小さな戦争」から「大きな戦争」に至るまでの矛盾はスローガンが覆い隠してしまったのである。
 もちろん対米開戦に至るまでの経緯は他にも色々あるがやはり日本特有の政治文化たる「権力分立」が最大の作用を発揮している。誤解がないよう強調しておくが「権力分立」が悪いわけではない。問題はその不都合が解消されないことである。
 昨今の内閣人事局憲法への緊急事態条項の追加への批判を見る限りこの「権力分立」の政治文化は根強い。

 そして前記した批判例を見てもこの種の批判を行っているのが日本型リベラルである。彼(女)は我々「保守」以上に「日本」的存在である。