保守の視点

「保守の視点」から政治・歴史を語る

日本はアメリカから逃れることはできない

 日本の歴史の大部分において「外国」と言えば観念において中国、朝鮮、インドであったが、実際に日本に影響を与えたのはやはり中国、朝鮮である。

 中国の歴代王朝は基本的に海洋には進出せず大陸の経済活動には満足し、また安全保障の関心は常に北方の遊牧民族だった。

 時々、遊牧民族対策が失敗し中国が遊牧民に征服され「遊牧国家」が成立してしまうが、元帝国が同族のモンゴル・ハン国、清帝国中央アジアジュンガルに警戒したように遊牧国家の安全保障の関心もまた同じ遊牧民だった。だから元帝国による日本攻撃(蒙古襲来)は中国史において例外だったのである。

 朝鮮もまた海洋に進出しなかった。高麗・李氏朝鮮は中国王朝の圧倒的な影響下にあり、それで満足していた。朝鮮半島の歴史を見ると例えば高麗・李氏朝鮮は「一国の歴史」というよりも「中国の一地方の歴史」と見た方が理解しやすい。それほど朝鮮半島は中国王朝の影響下にあったのである。

 中国王朝は常に経済超大国だったが、軍事力では遊牧民に圧迫されるなど守勢が目立った。そこで中国王朝は他国を武力で征服するのではない独特の外交関係を周辺国と築いた。具体的には中国皇帝が周辺国の長を「王」に封じ、臣下とした。例えば歴代朝鮮王朝は中国皇帝から「王」と封じられて初めて「王」を名乗れた。

 節目ごとに臣下たる「王」の使者は中国皇帝に贈答品を持って挨拶に行くわけだが、その返礼として莫大な財物が交付された。

 また挨拶に向かう道中では商業活動も認められ「王」達は莫大な利益を得られた。

 この中国皇帝を中心とする独特の外交関係、いわゆる「冊封関係」であり日本も室町時代足利義満が実利目的で受け入れていたことはよく知られる。

 「冊封関係」は表現こそ厳めしいがその関係は「緩やか」であり、その内実は今日で言うところの「ソフトパワー」に基づく関係だった。支配―被支配関係は形式的儀礼的だった。

 しかし大航海時代を契機、ヨーロッパ諸国が東アジアに出現し日本も交流を持った。  

 大航海時代とは要するにヨーロッパの世界進出であり、また物流が陸上輸送から海上輸送に切り替わる最初の一歩でもあった。

 ヨーロッパ諸国の世界進出により日本は欧州を知りまたアメリカ大陸を知った。一方でヨーロッパ諸国との交流により日本はキリスト教を知り、その対策として「鎖国」を選択した。鎖国は単なる宗教政策ではなくヨーロッパ諸国を念頭に置いた安全保障政策という指摘もある。

 また一口に「鎖国」と言っても中国(清王朝)朝鮮(李氏朝鮮)とは長崎港を通じて限定的に交流を続けていた。だから鎖国下の日本は「冊封体制の周辺者」であり、その関係「冊封体制」の参加するのと同様、緩やかなものだった。

 過去の東アジアは「緩やかな関係」で成立していたのである。

 幸いなことに16~18世紀前半の海洋軍事技術ではヨーロッパ諸国は日本の脅威とは成らず鎖国は成立できた。もちろんヨーロッパ諸国相互の対立も影響した。

 鎖国により日本が対外戦争に巻き込まれることはなくなったが一方で軍事技術は停滞した。

 そして18世紀末からユーラシア大陸からロシア帝国が東アジアに進出し日本に圧力をかけ、そして1853年にペリー率いるアメリカ艦隊の侵入を許してしまい開国せざるを得なかった。

 太平洋方面からの軍事的脅威はペリー来航が初めてであり、これはまたアメリカがアジアに参入してきたことを意味した。ペリー来航を機とした「開国」により日本が意識する「外国」は急速に増え、またどの国も圧倒的な軍事力を持っていた。特に日本周辺に参入したロシア、アメリカは巨大だった。

 このような悪条件にもかかわらず日本は明治維新を実現し富国強兵も断行し近代国家・国民国家を確立できた。それはもはやアジアで「緩やか関係」で満足することが不可能であることも意味した。

 そして清国、ロシアと言ったユーラシア大陸の大国に戦争で勝利こそしたが1910年の朝鮮併合を機に大陸・海洋双方に進出する国家となった。

 要するに日露戦争後の日本は国家戦略が統一できなかったのである。とりわけ「大陸進出」は日本の外交の自由度を拘束した。国家戦略の不統の一まま陸軍が日本全体を牽引する形で大陸進出を推進した。しかし朝鮮経営は赤字で満州経営もまた膨大なコストを強いられた。

 大陸投資とそれを守るための闘いの犠牲が巨大だったため、そこからの撤退することが考えられず、最終的にアメリカと闘い大敗北を喫した。海外の権益を守ろうとして日本本土が焦土と化したのである。日本は「アメリカという参入者」に国を開けられ、また国土も焦土とされたのである。

 現在、アメリカは自らを「太平洋国家」と宣言しており、日本がいかなる姿勢を取ろうとも日本はアメリカのアジア戦略に巻き込まれる。

 日本はアメリカを拒むことができない。避けることも逃げることも無視することもできない。対米関係はまさに日本の繁栄と平和に直結するテーマである。またアメリカのアジア関与は決して日本にとって不利益ではなくむしろ利益あるものであり、戦後の日米同盟がそれを証明した。 

 アメリカは国として若く、またアジア関与の歴史は更に若い。短期間にもかかわらず「日本に影響を与えた外国」という意味ではアメリカは圧倒的であり中国・韓国と比較にならない。

 我々はなんとなく「アジア」という言葉を使って「アメリカとの距離」を強調しがちだが、安全保障という国家次元はもちろん、消費文化という個人次元もまたアメリカに感化されている。

 「アメリカなきアジア」は幻想である。何よりも「アメリカなきアジア」は不安定要素が極めて高く日本の平和を損なうものである。 「アメリカなきアジア」を安定させたいならば、かつての「冊封体制とその周辺」のように国境を意識しない「緩やかな関係」が求められるが中国、韓国、ロシアは領土意識が極めて高く、また東アジア諸国限定で「緩やかな関係」を再構築したとしても結局、アメリカに切り崩されるだけだろう。

 アジアからアメリカを除外する必要はなく、またそれは不可能だからアメリカのアジア関与を前提とした政策を展開していくしかない。

 それは結局、日米同盟の維持・強化しかない。逆に言えば日米同盟を損なう対アジア関係は要注意である。